なぜ走る? 文化系レベルランニング

東京マラソン2010にたまたま当選してしまった「読書が趣味」の文化系人間。40代半ばを過ぎた今も、なぜ走り続けているのか? 走ることの意味を問い続ける平凡なランナーが、身体や心理のことからグッズ、レース、書籍のことまで幅広い視点から展開する、一味違うランニングブログです。

カテゴリ:文系的に > 本の紹介

先日『一投に賭ける』という本を紹介しました。
<全力でオススメする一冊>スーパーアスリートを感じよう ~ 『一投に賭ける』上原善広著

この本では、溝口和洋という規格外のやり投げ選手の世界を描いていますが、トレーニングや技術、身体についての考えには、常人には理解できないことがたくさんあります。

唯一無二の才能をもったスーパーアスリートの考えることが、「普通のひと」にわからないのは当たり前。彼の言葉のすべてを理解する必要はありません。

しかし、私はこの本の中に、記憶に残り忘れられない言葉があり、ときどき思い出してはその意味を考えます。今回は、その記憶に残る言葉について書いてみたいと思います。


「末端と末端がつながっていないから故障する」

それは溝口選手が選手の故障について語る「末端と末端がつながっていないから故障する」という言葉です。

もう少し詳しく見てみます。

この言葉は「デッドリフト」というウエイトトレーニングについての説明の中の一節で、次のようにつづきます。

手先とつま先がつながっていれば、腰は痛めない。一般的なフォームでも、痛めるときは大抵、この末端と末端がつながっていないときだ。

では、末端と末端つながるとはどういう意味かというと、

手首もグッと曲げて握る。デッドリフトは手首のトレーニングにもなる。さらに足の指はギュッと噛む感じでしめる。これで末端と末端つながる
簡単に言うと、耳や大胸筋を動かせる人がいるが、それは耳や大胸筋に神経回路ができているから可能なのだ。早い話がこれを全身の隅々にまで行きわたらせ、やり投げに応用していけば良い。

手先とつま先には常に力をいれて末端と末端の神経回路をつなげておく、そうすればケガをしないと溝口選手は言っているのです。


溝口選手の言葉が記憶に残った理由

 私はマラソンを始めてからというもの、膝や足首のケガ、腰痛などさまざまなスポーツ障害に悩まされてきました。 マラソンで自己ベストを出そうと一生懸命に練習しても、ケガをして1ヵ月を棒にふり、練習の成果は帳消しになってしまうことも。

ケガや病気で何度も練習を無駄にしたことがある私は、ケガについては人より敏感なのかもしれません。

また、私は本やネットで身体について研究することが好きで、「故障しないための工夫」に興味がありました。
つまり、この言葉から、身体のしくみについての何らかのヒントを得たかったのです。

たとえば、「末端と末端がつながる」ということは、その間にある身体パーツにも影響がありそうです。

もし手先と足先の神経がつながるのなら、その間にある体幹と手足の連動もスムーズになるかもしれません。手足の先に力を込めるだけで身体が連動するなら素晴らしいことです。


言葉どおりにをそのまま試してみると・・・

私は実際、この言葉を応用して手先と足先の神経回路をつなげるべく、手を強く握り、足の指に力を込めて走ってみました。
素直にこの言葉どおりにやってみました。

しかし、とくに変わった効果はありませんでした・・・

手先と足先に力が入っているという感覚はありますが、末端と末端がつながる感覚はなかったのです。走りについての影響は、特に見られません。手を強く握り、足の指に力を込めているだけ・・・

むしろ走りには逆効果
で、末端への意識が強くなりすぎて集中力が続かず疲れてしまうのでした。

その後も何度か試してみましたが、何かを身につけることはできませんでした。
私は文化系人間で、本来は運動神経がよい方ではありませんので、トップアスリートの感覚を体感することは難しいのかもしれません。


意味がわかっても理解できない言葉

このように、世の中には、言葉の意味はわかっても根本的に理解するのが難しいことがよくあります。
この言葉は私にとって「意味がわかっても理解できない言葉」だったのです。

この言葉は、意味が通じても中身がないものなのでしょうか?
溝口選手は日本人でありながら、欧米の巨漢の選手と互角に戦い、自分流で研究しながら持ち前の探求心と根性でハードトレーニングを続けて成果を挙げたひとです。

実際には何かあるのに、平凡な人間にはわからないというだけ
のことではないのか?

もしあまりにうさん臭かったら、心には残らないはずです。
この本を読んでから1年は過ぎていますが、まだひっかかっているということは、この言葉に何らかの真実がかくれていると思っています。

少なくとも溝口選手が何かを誤解して、このような言葉を残したとは思えません。おそらく、究極の身体に備わった感覚が、その真実をつかんだのでしょう。


つづく


●『一投に賭ける  溝口和洋、最後の無頼派アスリート』  上原善広著
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ランナーの皆さんは、1日にどのくらい椅子に座っているでしょうか?
座り過ぎのひとは、ご注意ください。
「座っている時間が長ければ長いほど健康に悪い」という実験結果があるからです。


この本では「1時間座ると22分寿命が縮む」という説も紹介されています。
(大げさな気がしますが、計算するとそうなるのでしょう)

こんな記事もあります。

昔の私は慢性の肩こり持ち

私はかつて一日8時間、長い時には12時間以上椅子に座っていました。仕事や読書、パソコン、テレビなどで座りっぱなし。
マラソンを始める前は運動もせず、肩こりがひどくなると首回りがカチカチ。薬に頼って、肩からツンとした臭いを漂わせていたので、「おじいさんの臭いがする」とからかわれたものです。

マラソンを始めたのは8年前。そこから体に興味を持つようになって段々と肩こりは軽くなってきました。やっぱり身体を動かすことが基本ですね。

立ち机導入

座り過ぎが肩こりだけなく、病気の原因にもなると知ってからは、よく立ちあがるようにしていました。
しかし、それでも長時間の椅子は肩こりがしてきて調子が悪い。何かよい方法はないかと考えた結果、思いつきました。立って作業すればよいのではないか、と。

当たり前ですが、「立ったとき」の姿勢は、「座ったとき」よりも「走ったとき」の姿勢に似ています。また、フルマラソンでは市民ランナーは3時間や6時間ぐらいは平気で座りません(笑)。

「マラソンで4時間以上座らないなら、同じ時間立ち続けることもできる。立っていることも楽かもしれない」

しかも、私の場合、ヨガや筋トレで体幹も少しは鍛ているから身体はまあまあ真っ直ぐ。立ったまま作業することに抵抗はありませんでした。

そして、先日ついに立ち机(スタンディングデスク)を導入したのです。

「立ち机」意外といける!

使い始めた頃は、膝から下の部分が重く、むくんだようになりました。
しかし、立っているメリットは脚を動かせることです。気づいたときにかかとの上げ下げを行うと、むくみも改善しました。

2週間も使うと脚の筋肉がついてきて、立った姿勢も安定してきます。つまり、いい感じの姿勢が自分でもわかってきて、3時間くらいは座らなくても平気になります。(立ち姿勢、サブ3くらいではまだまだです!)

そして、ときどき椅子に座り休憩。「椅子ってなんて楽なんだろう」とその有りがたみが、よ~くわかるようになります。

立ち机オススメです

走ることも、ずっと立っていることもけっこう疲れます。それが常識です。
だから比べると「座る方が楽」なのですが、その「楽なはずの姿勢」もずっととっていると肩こりなどで余計に疲れてしまう。
脚の血行はつま先立ち運動で解消できますが、肩こりは簡単には治りません。
しかも、足が強くなって、走るのも楽になりますし(そんな気がします)、立っている方が断然眠くなりにくいです。

正しく立つことのコツさえつかめば、いろんなメリットがあります。
立ち机を使ってみてはいかがでしょうか?




私が使っているのはこちら↓

「足置き」が気に入ってます。
高さは1mです。
身長により、合わないこともありますのでご注意ください!


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アマゾンにはこちらもあり迷いました↓
同じく高さ1m。奥行きが少し広いです。


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一投に賭ける


かなり影響されました


皆さんはブルース・リーをご存じでしょうか?
そう、あのカンフー映画の世界的スターのことです。
私が小・中学生の頃は、テレビでよく彼の映画を見たもので、見た後はブルース・リーが必ず私に乗り移ります。
「アチャ、アチャー、アチャーーー」(そして眉間にしわを寄せる)

ジャッキー・チェンの映画も同様で気合が入ります。その後一週間ぐらいは修行モードが続き、腕立て伏せ、腹筋運動、パンチ、キックなどの練習を適当にやり、棒っ切れでヌンチャクもつくって頭に「たんこぶ」という名誉の傷もおいました。

こんな風に腕っぷしの強いヒーローを見て修行してしまうことを、私は勝手に「ブルース・リー効果」と呼んでいます。(学問的には正式な名称があるかもしれませんが、その点は深堀りしません)

ところで、溝口和洋というやり投げ選手をご存じでしょうか?
この本を読むまで私は知りませんでしたが、1980~90年代に活躍しオリンピックにも出場した選手です。この本のおかげで私は一気に彼のファンになりました。そして、無性に体を鍛えたくなりました。そうです。私の身に30年ぶりにブルース・リー効果が起きたのです!

私は40代後半ですので、影響されてやり投げをしたわけではありません。しかし、ブルース・リー効果で、夏の間練習をさぼり、"なげやり"だった私を、肉体の限界まで走り続けたいような気持にさせたくれたのです。


この本について


この本は「『本の雑誌』2016年度ノンフィクションベスト10」の第一位にも選ばれ、読みごたえ十分です。
著者の上原善広氏は、溝口選手に18年にもおよぶ取材を積み重ね、その文章の奥行きが溝口和洋という人物を浮かびあがらせます。
文体は、溝口選手が自分で自分のことを語る一人称スタイルで、まるで本当に本人が喋っているかのようなリアルさ。
読んでいると一匹オオカミの溝口選手の男臭さが伝わってきます。

著者の上原氏はこう語ります。
もともとは、彼のトレーニングと投擲技術の話だけで一冊の本にするつもりだった。「全身やり投げ」だった選手だからこそ、彼のトレーニングと技術論だけで、実験的なルポルタージュが書けると構想していたからだ。
その後、さらに試行錯誤をへて、私は彼を一人称というスタイルで書くことにした。これが溝口を余すことなく描き出す方法だと思ったのである。

溝口選手の個性と存在感は突出しています。
上原氏の文章力が、その個性を「余すことなく描き出す」ことに成功していて、ページをめくるごとに溝口選手の世界にグイグイと引き込まれます
その結果、私のような40代後半の男にブルース・リー効果が現れたのです。


溝口和洋選手について


溝口氏はやり投げの選手として80年代に国際舞台で活躍。体の小さい日本人(と言っても、溝口氏は180cmある)は力を使う投てき種目では不利と言われていましたが、溝口氏は外国人に勝つために独自の研究を積み重ねます。
そして、猛練習を続けることで体の大きな外国人たちと互角以上の戦いをし、1989年のワールドグランプリシリーズで世界総合2位に輝きます。

ランニングとやり投げは全然違います。持久力と瞬発力の違いです。それでも、この本を紹介したいのは、この本から得られるブルース・リー効果を、ぜひ味わってほしいからです。

溝口氏は練習に関してとにかくストイック。私などはマラソンの練習については、少しでも楽に練習して自己ベストを更新したいと考えています。練習も嫌いではないけど、正直なところ時どききつい(笑)。

トレーニング内容や競技に賭ける意気込みは完全に超人です。この本を読むランナーやそれ以外のひとに、この超人の個性から少しでも刺激を受けて、今後の練習や人生に役立ててほしいと思っています。


印象的だった3つのこと


とにもかくにも、まずこの本を読んで、溝口和洋というひとの独特な雰囲気を味わってほしい。
そんな本ですが、内容についても少し触れてみます。

溝口選手の競技への向き合い方から学んだことが多くありますが、ポイントを3つに絞ると以下のようになります。

1. ハードトレーニング
2. 精神力の強さ
3. 物事を深く考え突き詰める

ひとつずつ見ていきます。

1. ハードトレーニング

おそらく溝口選手のトレーニング内容のすさまじさを心に刻まれることになるでしょう。人間の限界を超えている、というか、もはや神の域です。

トレーニングは常にMAX、つまり限界になるまでやらなければ意味がない

限界とは何か?

この100%とは、全日本レベルの選手の三倍以上の質と量がある。例えば12時間ぶっとおしでトレーニングした後、2、3時間休んでさらに12時間練習することもあった。これだけやってようやく人間は、初めて限界に達する。

「12時間ぶっとおし」というのはもはや想像がつかない世界です。しかも、少し休んで再開するというほぼ24時間のトレーニング・・・

溝口選手のトレーニングはウェイトがメインですが、オフシーズンに母校の学生とともにベンチのみの練習をした時には、ほとんどの学生が倒れたというエピソードもあるほどです。この時に学生たちは何を思ったでしょうか?ぶっ倒れたのは気の毒ですが、超人と一緒に練習できたことは羨ましいです。

2. 精神力の強さ

では、超ハードトーニングをどのように続けたのか?
根性でカバーする」そうです。実は私はあまり根性論がすきではありません。しかし、次の文を読むとさすがに感心してしまいます。
人間というのは、肉体の限界を超えたところに、本当の限界がある。いわゆる「火事場の馬鹿力」というやつで、毎日、その「火事場の馬鹿力」を無理やり出せば良いだけのことだ。「火事場で焼け死ぬ」と思ってやれば、できないことはない。死ぬ気でやれば人間というのは大体何でもやれるものだ。
「火事場の馬鹿力」というのは、火事のときには凡人も人並以上の力を発揮するという意味ですが、毎日が火事のような生活。恐ろしい精神力です。

本人は自分を「執念深い」といいます。勝利に対する貪欲さが彼の精神の一部を形づくり、ハードトレーニングを支えます。その精神と肉体をもって初めて、体のでかい外国人選手と互角以上にわたりあえたのです。
体力がない日本人でも並外れた精神力で取り組めば、奇跡をおこせるということですね。
でも、溝口選手だからできたのだろうと思わずにはいられない。私もまだまだ修行が足りません。

ところで、自分に甘い私は、ひとりでマラソン練習するとサボりがちになります。なので、仲間たちとときどき一緒に走ることで、モチベーションを維持したりしています。
溝口選手の練習は基本的には一人で行い、コーチをつけていません。それでも超ハードトーニングを続けられる。ここに彼の精神の強さがうかがえます。

3. 物事を深く考え突き詰める

スポーツでは、強い精神があれば、どんなひとでもそこそこの成長と記録の向上を期待できます。しかし、優秀な才能がぶつかり合うトップレベルの戦いとなると、恵まれた身体と強い精神だけでは足りないもののようです。

溝口氏はワールドグランプリシリーズで年間総合2位に輝くことができました。身体の小さな日本人としては異例のことです。この偉業を達成するには精神力の強さとハードトーニングはもちろんですが、その他にもうひとつの才能が必要でした。それは、自分で問題点を見つけ合理的に改善していく能力です。

技術面の新発見に、コツというものがあるとしたら、これまでの常識をすべて疑い、一からヒトの動作を考えることだ。

たとえば、「後ろ向きで走ると遅い」ことは常識ですが、溝口選手は実際に後ろ向きに走ってみて遅いことを確かめました。それほどまでに合理的なのです。

ビジネスの世界でも同じだと思いますが、ただ言われたことをするだけでは一流にはなれません。もっと深く考え、進むべき方向を自ら選択し判断していかなければならないのです。
やるべきことと、やるべきではないことを自分で考えて決め、それを自分の意志で実行していく。進む方向が間違っていたなすぐに軌道修正する。そんな孤独な作業をひとりで続けて結果を残したひとりのアスリートの姿には、大いに学ぶことがありました。

まとめ

ランナーでもアスリートでも、そうでなくてもどんなひとにも読んでもらいたい本です。ぜひお読みください!

●『一投に賭ける  溝口和洋、最後の無頼派アスリート』  上原善広著
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本書『EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅』の著者スコット・ジュレク氏は、以前このブログでちょっとだけ紹介した『BORN TO RUN 走るために生まれた』(クリストファー・ マクドゥーガル著)にも登場するウルトラマラソン界のトップランナーです。

私はウルトラマラソン(42.195km以上のレース)は走ったことがありませんので、100kmを超えるようなレースで優勝するランナーの精神と肉体については想像もつきませんでした。
しかし、この本を読んで「なるほど」と思いました。
やはり文化系の私とはモノが違います。
捻挫した足で優勝してまうのです。痛みなどこらえるのは当たり前です。
とても真似できません。


スコット・ジュレクという人

才能あふれる人間がいかにしてトップランナーになるのかが、この本を読めばよくわかります。
どんなに才能に恵まれた肉体を持っていても、環境が整わなければその道に進むことすらできません。

著者の父親は厳格で、家では厳しいしつけをします。その半面、森に子供を連れていき狩猟を教えるなど、アウトドア生活の基本と楽しさを学ぶ機会を著者に与えるなど良き父としても振舞いました。一方、母親は病気のため、著者は子供のころから家事全般を手伝うことになります。母のサポートを通して忍耐力を身につけるとともに、人間の身体や心についての理解を深めていきます。

ジュレク氏は、高校でクロスカントリースキー選手となり、持久力を鍛えるためにランニングを始めます。このときに、大親友と出会い、ともにトレーニングに励んだことでランニングの才能が目覚めます。やがて、ウルトラマラソンに出場し、その後も結果を出し続けることでキャリアを積みあげ、世界有数のウルトラランナーとなりました。

著者はこれまで参加したレースを振り返るとともに、家族との関係、友人や恋人との出会いなども語ります。才能が開花するには、人との出会いや環境も大切ということでしょう。


様々なレース

この本のメインテーマであるウルトラマラソンに関しては、描かれるレースはどれも過酷で、著者はこれでもかというほど身体を痛めつけられます。レースでランナーを襲うアクシデント、痛みや苦しみの描写からは、第一線のウルトラランナーの精神性を垣間見ることができます。そして、こうした困難を乗り越えていく過程こそが重要である、と私たちに思い出させてくれます。

私は知りませんでしたが、ウルトラマラソンでは長いレースになると夜も走るためヘッドライトをつけることがあるようです。この時に、ライバルに自分の存在を知られないようにするため、ライトを消して走ることもあるとのこと。ウルトラマラソンは奥が深い。戦術が多彩過ぎる(笑)。

また、ウルトラマラソンでは嘔吐などは当たり前。フルマラソンで胃腸がやられる自分としては、屈強なランナーでも嘔吐することがわかり少し安心させられました。

メキシコのタラウマラ族の走りを描く『BORN TO RUN 走るために生まれた』にもジュレク氏は登場します。ジュレク氏は『BORN TO RUN』では脇役でしたが、自身の著書である『EAT & RUN』では自分の視点から、同じレースについて語っています。登場人物たちを違う視点から捉えるているので興味深く、ウルトラマラソン界の第一人者であってもタラウマラ族の走りをリスペクトしている部分はとても気持ちよく感じました。『BORN TO RUN』が好きなひとは、この『EAT & RUN』も面白いこと間違いありません。 


食事について

ジュレク氏は、母親が病気のために、家事を手伝う必要がありました。料理をすることも彼にとっては当たり前のことだったからで、料理をすれば食品にも詳しくなります。
また、母親のリハビリをしていた理学療法士と出会ったことで、彼自身も後に理学療法士の道を選びます。職業上不可欠な人体の知識はもちろん、レースに必要な栄養の知識も同時に身に付けていったようです。
そして、レースを重ねて経験を積み、もっとも速く走るための食事を考えるように至ったときに、彼は完全菜食主義者(ヴィーガン)になります。
ジュレクさんの菜食主義は、自分の身体とレース経験によって選ばれたもので、動物虐待反対といったイデオロギー的なものとは関係ありません。ウルトラマラソンという極限のレースを少しでも速く走るために、完全菜食主義を選んだのです。この菜食主義については、石川弘樹さんが巻末の解説で効果があると書いていますが、問題もあるようです(ジュレクさんと親交のあった石川さんの解説だけでも読みごたえがあります)。

本書はまた、ジュレク氏おすすめの長距離ランナー用のベジタリアン料理レシピも多数紹介。「アップルシナモン・グラノーラ」「スターバースト抗炎症スムージー」「チョコレート・あずきバー」など一度試してみたいものがたくさん。ふだん何を食べるべきか迷っているランナーにも役立つ情報が多数掲載されています。


EAT&RUNコラム

本書の章の間に、1ページ程度の短い14のコラムが載っています。このコラムは、ランニングにおける呼吸法、体幹、着地やストレッチなどについて説明。ランナーにとって基本的なものについては、外国人のウルトラランナーの視点から書かれていて、日本人のマラソントレーナーが書いたものとは少し違った印象を受けます。理想のストライドや着地については、知らなかったことがあり役に立ちました。
また、完全菜食主義者としての視点で書かれたカロリーやたんぱく質の取り方は普段の食事について考える上でも参考になります。


走りから得た哲学

この本のまとめにあたるエピローグでは、著者の哲学と思想が、2010年の24時間レースの模様とともに詩的情緒の中で描かれています。

「誰だって負けることがある」という誰もが認める真実に対して、著者はこう言います。
負けることが生き方を決めるんじゃない。負けたあとに何をするか、つまり負け方が大切だ
そして、レースについて。
人生はレースじゃない。ウルトラマラソンだってレースじゃない。そう見えるかもしれないけれど、そうじゃない。ゴールラインはない。目標に向かって努力をして、それを達成するのは大切だけれど、一番大事なことではない。大事なのは、どうやってそのゴールに向かうかだ。決定的に重要なのは今の一歩、今あなたが踏み出した一歩だ。


●『EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅』(スコット・ジュレク著)
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『哲学者が走る: 人生の意味についてランニングが教えてくれたこと』(マーク・ローランズ著)という本を読んでみました。

著者はアメリカの大学で哲学を教えるイギリス人の教授です。
哲学の教授だけに、私が今まで読んだランニング関係の本を中では、「走ること」について最も深く・広く考えています。
ちなみに、この本の中でローランズ教授は、私がランニングの心の師と仰ぐ村上春樹氏についても言及しています。

今日はこの本を読んで、私が「走ること」の本質について考えさせられた一節をご紹介します。


走ることと、空間移動すること

ランニングでは、目標はAからBに移動することあるいは自宅からスタートする場合にはAから初めてAに戻ることである。この前置きの目標を達成するにはドライブ、徒歩、サイクリングなど様々な方法がある。
事実、目標がAからAの場合には、そのままそこにいるだけでもすむ。

私はこのブログを書き始めてから、走ることの意味について考えるようになりましたが、「走る」という行為が空間を移動することを前提にしていることについては当たり前すぎて、それについて深く考えることはありませんでした。しかし、この文章を読んだときに考えさせられました。

著者は上の文から、ランニングは「ゲーム」であり「遊び」であることを説明していきますが、私はむしろ走ることと空間移動に目が向きました。
 
私がいつも使っているランニングマシン(トレッドミル)は、どうなるのか?、と。


ランニングのコペルニクス的転回

かつて、走ることは空間を移動することを前提としていました。
しかし、室内で走るための道具であるトレッドミルが生まれ、空間を移動せずに走ることができるようになりました。
技術の進歩により、走るという行為は、空間の移動を前提としなくなったのです。

では、トレッドミルはなぜ空間を移動せずに走れるかというと、空間の代わりに地面の役割をするベルトが移動してくれるからです。ランナーの動きは、空間移動に代わりベルトの回転運動に置き換えられます

「自分が動くか、それともベルトが動くか」というこの変化は、「太陽が地球を回るのか、それとも地球が太陽を回るのか」、というかつての天動説と地動説の違いを思い起こさせるものです。トレッドミルの登場は、まさに、ランニングのコペルニクス的転回といえるでしょう。


空間を移動するランニングの場合

トレッドミルは、新しい技術による「動く地面」の発明であって、動かない地面をベルトによって動かし、本来なら身体が被る空間移動をなくしてしまいました。
しかし、トレッドミルは特殊な例で、通常は地面が動かないため、ひとが走ると普通は空間を移動することになります。

空間を移動するときは、引用にあるように「A地点から違うB地点に行く、あるいはA地点から同じA地点に戻る」ことになります。

ローランズ教授はこれについて、"目標がAからAの場合には、そのままそこにいるだけでもすむ”といいます。

ゴールとスタートが同じならば、走っても走らなくても(移動してもしなくても)一定時間の経過後に同じ場所にいれば結果は同じ。走るということは、空間移動が目的ではないということなのです。
走るという運動は本来、空間移動を前提としますが、それは走ったことの結果でしかありません。

走ることで空間を移動しますが、走ることは移動そのものが目的ではないということです。


マラソンは何を目的とするか?

マラソンレースは42.195kmを移動します。
マラソンは走る競技なので、この距離の移動は前提となります。
しかし、同じ距離なら何でもいいというわけではなく、走ることは人間の足で行い、かつ、同じレースならば、決められた同じコースを参加者全員が走るということになります。

恐らく、マラソンのルールでは走ることを強制してはいません。ゴールのタイムを参加者が競うため、より早くゴールにたどり着くため、あるいは、制限時間内に完走するため、全員が結果的に走るということになるようです。

マラソンは、同じコースを人間の足で移動し、なるべく早くゴールするのが目的のゲームということでしょう



今回は走るということについて少しだけ哲学的に考えてみました。
レースのシーズン中には、こういうことは考えません。シーズンオフいうことですね・・・

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