なぜ走る? 文化系レベルランニング

東京マラソン2010にたまたま当選してしまった「読書が趣味」の文化系人間。 それ以来、50歳を過ぎた今も、なぜか走り続けています。 走ることにどんな意味があるのか? 「からだ」「こころ」「グッズ」「レース」「本」などから、走ることについて考える、ランニングブログです。

カテゴリ: 達人たちに学ぶこと

前回の記事でお伝えしましたが、「はままつアスリートフェスティバル」で小学生の走りを見てきました。

小学生の走り

小学生は低学年から高学年と年齢が開いているので、体格にも成長にも差があります。また、男女でも体つきに違いがあるでしょう。

皆さんの走りを見学させてもらい気づいたのは、「小学生はだいたい身長が高いほど速い」ということでした。
(もちろん「走るイベント」に来る小学生ですから、肥満の子はいないという前提があります)

身長差以外で、速い子の特徴を見つけようとちびっ子たちの走りを観察してみましたが、すでに書いた通り、フォームが良ければ速いというわけではないというのが私の実感でした。

素人目に見て、身体ぶれていないかどうかが判断基準でしたが、少なくとも小学生に関してはそういうものが大きな問題ではないとわかりました。

駅伝の大学生の走り

フォームといえば、アスリートフェスティバルの翌日に行われた「第50回全日本大学駅伝」を見た時にも同じ印象を持ちました。

それは第7区を走った青山学院大学のエース森田選手の姿でした。
森田選手の足先は、足首から外側にかなり開いています。他の選手と比べるとよくわかります。

私は足が痛くなるタイプなので、これで最後まで足が持つのだろうかと心配になります。

ところが、さすがはエース区間を任される選手。前を走る東海大の選手を抜き去って、1位でタスキを渡しました。タイムは区間2位、日本人選手では区間1位です(第7区区間成績)。

短距離の小学生と、長距離の大学生を単純に比べてしまうのは問題があるかもしれません。それでも、「フォームが良ければ速い」とは必ずしも言えないという思いを強くしました。

フォームが良けれは速いというわけではない。

大舞台で活躍を目指すような「速いランナーたち」は、毎日練習し、いろんな工夫を重ねて、自分に一番合った走りを選んだ結果、個性的なフォームになっているはずです。

きれいなフォームもまたそのランナーの個性で、きれいに走るのがその人の個性に合っているでしょう。

ランニングを始めたばかりの素人に関して

ところで、私のように30歳代の後半からマラソンを始めたようなランナー、つまり素人には、走り方の修正は大きな効果があります。骨盤の前傾、足の開き、猫背など、意識して改善に取り組めば、走るときの痛みが和らいだり楽になったりします。

私はランニングを始めて数年は腸脛靭帯炎に悩まされましたが、ガニ股を直してからは治りました。

素人レベルのランナーは、そういう改善を重ねることで、走るときの見た目のフォームも美しくなっていくはずです。

たとえば、痛みが原因で腰を曲げて歩いている人がいるとする。治療の結果、腰を曲げずに歩けるようになったとしたら、その人の歩く姿勢(フォーム)は良くなったと感じることでしょう。それと同じことです。

走るときの欠点を直していくことで、走りやすくなり、フォームも良くなるということです。

「骨盤の前傾」、「肩甲骨を寄せる」、「アゴを引く」といった基本的動作は、万人に当てはまるような「理想的なフォーム」を目指すための大きな修正ポイントです。短所をなくすことで走りが快適になる素人レベルの時には大いに参考にしたいところです。

しかし、熟練して欠点を直して一定のレベルに達したランナーなら、自分の身体と対話して個性を伸ばす走りにすることが大切ではないか?

「標準的」から「個性的」な走りへ

小学生たちの走りは様々でした。その違いは持って生まれた体の違いが大きい。
大きい子も小さい子、メガネの子、手足の長い子、頭が大きい子。いろんな子がいます。

低学年の子は見様見真似で走っている子もたくさんいます。
難しいことは考えず、足を前に出して進む。小さい子がしているのはそれだけ。

シンプルだから、自分の体型にあわせた走りに自然になります
当然、走り方も子どもによって違ってきます。

もし走ることに慣れて一定レベルに達したなら、一度子どもの走りを見て基本に戻ることをおすすめします。大人でもそれぞれの体型や体質にあった走りを考える機会となるからです。

もちろん、それぞれの欠点を直すことをやめることはありません。
しかし、あるレベルに達すれば、修正ポイントも重箱の隅をつつくような細かいものになり、たとえ直しても、リターンが小さい。

基本が一通り身について、さらに上を目指すのなら、短所を消していくのではなく、各個人が自分の身体の特徴を知り、長所を見つけて伸ばしていくやり方をおすすめしたい。それぞれの子供にある個性は、大人になってからも消えることはないからです。

短所を消していくうちにみんな同じような「理想的なフォーム」に近づきますが、それは「標準的」でしかないです。標準を超えていくためには、自分の個性を見つけて、そこを伸ばす。

伸ばした結果が標準を外れるならば、そこにこそ他のひととは違う自分自身の価値が発見されるのです。

自分に一番あったフォームを発見し、最高のパフォーマンスを出すことの方が恐らくメリットが大きい。森田選手の開いた足首は、自分の走りを突き詰めた結果であるのでしょう。



日本チームが銀メダルを獲得した「2016年リオデジャネイロ五輪の男子4×100mリレー」。山縣亮太選手、飯塚翔太、桐生祥秀選手、ケンブリッジ飛鳥選手の4人が入場のときに見せたあの「侍のポーズ」は今も目に焼き付いています。(映像はこちら

この日本チームのメンバーの桐生選手飯塚選手が「はままつアスリートフェスティバル」(2018年11月3日、浜松市)にやってくるというので見に行ってきました。

チラシには、予選を勝ち抜いたちびっ子たちと、地元アスリートとの対戦もあるとのこと。走りが自慢の小学生がどんな走りをするのか興味深い。
私自身の走りのフォームの改善にも、ちびっ子たちの走る姿が参考になるかも?

当日の様子

この日の天気は曇り。
会場の浜松城公園駐車場に到着すると、特設の50mコースと観客席が設けられていました。隣では「ザ・山フェス」というイベントも行われ、五平餅や蜂蜜の販売と木工体験などでにぎわっていました。

10時20分、いよいよ飯塚選手と桐生選手、そしてロンドン五輪女子4×100mリレーに出場した市川華菜選手の3人による「トップアスリートトークショー」が始まりました。

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桐生選手の「日本初の9秒台」に対するこだわりや、リオ五輪の侍ポーズの裏話、バトンの渡し方など、面白い話が多く会場からは「へ~」という声が何度も聞こえました。
飯塚選手はとても喋りが上手でこれにも感心。市川選手はうわさ通りの「美女スプリンター」。桐生選手は「浜松で餃子食べて帰る」と、意外と庶民的。ウナギじゃなかった(笑)


続いて、アスリートと対決する小学生を選ぶ予選会が始まりました。
低学年の子たちは、スタートの号砲よりも、隣の子の様子を気にするよくわかっていない子の姿も。何事も経験ですね。

見ていて気づいたのは、まだ体ができていないためか、年齢が低いほど身体がぶれること。
フォームも様々でみんなそれぞれ違う。たまに、すごく真っ直ぐできれいなフォームの子がいます。かといって、そういう子が必ずしも速いわけではない。これが不思議でした。


午後からは、メインイベントの「アスリートvs小学生対決」。当然、ハンデ戦ですが、小学生がけっこう勝っていました。私は短距離選手の走りはふだん見ることがないので、あの肉弾が走ってくる迫力に圧倒されました。同じ走るでもマラソンとは全然違います。

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そして、最後は桐生選手の試走
日本記録保持者の走りを見ようとひとがどんどん集まってます。さすがはビッグネーム。大人気です。日本人初となる100m走9秒台たたき出した男。オーラが違いました。
単独での試走の予定でしたが、桐生選手が呼び掛けて小学生が飛び入り参加。よい思い出になったことでしょう。桐生選手の走りは速く、美しかった!一瞬で終わってしまいましたが、真っ直ぐに延びた脚の美しさが記憶に残っています。
トークショーでの桐生選手は少し気さくでオーラはありませんが、実際に走るとなると何かを期待してしまう。100m走というのは「芸」の世界だなあ、と思った次第です。
仮にマラソンのトップ選手が長距離のスピードで試走してくれたとしてもこの迫力はありません。

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もちろんマラソンのトップ選手も研さんを重ねて、心も体も常人とは違うはずです。でも、100m走のような瞬発力とスピードが感じられるわけではないので、イベント会場で見せる場合、マラソンはエンタメとしては弱い。マラソンはやはり見るよりも、参加するもの???

まとめ

桐生選手、そして飯塚選手、女子の市川選手。3人とも話すのがうまくて驚きました。
観客がたくさんいても、この程度のイベントでは緊張などしないようです。
もし私なら、絶対にしどろもどろ。
もしトップアスリートが緊張するなら、やはり国の代表として国民の期待を背負って参加するオリンピックの大舞台が一番ということでしょう。

私のように、久しぶりのフルマラソンで緊張するようではいけないと思った次第であります。
マラソンの走力だけでなく、トップアスリートたちのように、人としての魅力や精神力も身に着けたいですね。

女子マラソンで92年バルセロナ五輪銀メダル、96年アトランタ五輪銅メダルを獲得した有森裕子さんの自伝的著書「わたし革命」から学んだことについてです。
(有森さんのアトランタ五輪の激走については、よろしければこちら(ランナーは今年この1冊から始めてみよう!村上春樹著「Sydney!」)もお読みください)


輝かしい経歴をもつ有森さんはですが、子供のころから才能を認められていたわけではありません。
中学時代は陸上部が休部状態だったためバスケット部に所属。高校では陸上部に入ろうとするも、陸上の名門校だったため顧問の先生から入部を断られてしまう。それでも諦めない有森さんは毎日顧問の先生にお願いして1ヵ月後にようやく入部を許されました。

有森さんのマラソンの第一歩はこんな風に始まったわけで、もともとの素質があったわけでないことは、ご本人もお母さんも、 高校の部活の先生も、実業団の指導者であった小出監督も認めているところでした。

そんな彼女がオリンピックに2回出場し、2つのメダルを獲得できたのは、高校陸上部に入部したときのような意志の強さと粘り強さがあったからです。

有森さんは以下のように書いています。

"幸いだったのは、わたしが短距離ではなく、長距離を選択したことだ。カール・ルイスやジョイナーなどの例でもわかるように、短距離はからだの素質が大きくものをいう。それだけに記録を出せる時期は短い。年齢も限られてくるので、競争は熾烈を極める。
ところが、長距離や、人生のほとんどのことに言えるのだが、ある技術を身につけることはからだの素質や生まれ持った才能というより、自分が何をやるのか、やりたいのかをまず決めることからはじまる。
「精神面の強さと自己管理のうまさ、目標への挑戦、の項目で最高点、計画性、困難の克服、精神的強靭さ、節制においても高得点」のちに、わたしは陸連女子委員会の調査研究部長から、こんなお墨付きをもらったが、「駄馬」がサラブレッドに追いつくためには、それしかなかったのだ"


マラソンと人生に共通していえることは、長い戦いであるということ。上の文章を要約すると、長期戦で結果を出すために必要なことは、次のようになります。

まず自分の目標を定め挑戦する。
精神面を鍛えて自己管理を徹底する。
あきらめずに計画を実行していく。


シンプルで単純ですが、この方法を実践していくことはとても難しいことです。
そもそも自分の人生における目標が見つけられる人間は多くはありませんし、当たり前のことを当たり前に実行することがどれ程難しいかは、私も40代の半ばにして痛感しています。

しかし、才能・素質の問題ではないので、難しいからと言って不可能なわけではありません。長期戦の問題は、やりぬくことさえできれば目標を達成てきる可能性がグンと高くなります。

努力を継続できることも才能の一つと考えられますが、身体的な違いによる問題と比べれば、目標に向かって集中し継続していくということはどんな人にも可能です。

有森さんの言葉からは、当たり前のことを当たり前に実行することの大切さを改めて知らされました。
マラソンは人生に似ているということはよく言われますが、またマラソンの達人からひとつ学んだ気がしています。

 
 

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