なぜ走る? 文化系レベルランニング

東京マラソン2010にたまたま当選してしまった「読書が趣味」の文化系人間。40代半ばを過ぎた今も、なぜ走り続けているのか? 走ることの意味を問い続ける平凡なランナーが、身体や心理のことからグッズ、レース、書籍のことまで幅広い視点から展開する、一味違うランニングブログです。

カテゴリ: 文系的に

前回記事で「ゼエゼエ走ること」について書きました。
それで、ふと考えました。ゼエゼエ走る文学はあるのか?

これまでにこのブログでは村上春樹氏のエッセーを紹介したことがありますが(カテゴリー「村上春樹氏に「走ること」を学ぶ」参照)、小説ではありませんでした。「ゼエゼエ走ること」は物語としてはなかなか成り立ちにくい。
でも、走る文学の名作はあります。そう、走るといえば、日本人ならみんなが知ってる太宰治の『走れメロス』

なぜこの物語が有名かというと、教科書によく載っているからだそうです。私はこの作品読んだような気がしますが、はるかな昔のことで、ほとんど覚えていません・・・
内容について知っているのは、「友人を救うためにメロスは走った」くらいの記憶だけ。
つまり、私はこの国民的名作をよく知らないのです。これはいけないと、この機会に、まず『走れメロス』を読んでみることにしました。

『走れメロス』を読んでみた40代後半ランナー

読んでみた結果は、意外でした。
この話、メロスがピンチの友を救うために走った話と思っていましたが、そうではないのです。

救うのですから、友が何らかのヘマ(借金や犯罪)をして、捕らわれの身になってしまい、その友人を救うのに走ったのだと勝手に思っていました。

違いました。とんでもない誤解です。

死罪を言い渡されたメロスは、自分が必ず戻ることを信用してもらうために、一番大切な親友を人質に差し出したのです。期限までに戻らなければ、友は死刑。戻ったら自分が死刑。そんな絶望的状況です。この作品は「親友を救う話」では、まったくないのです。しかも親友を人質に差し出す時点で、もはや「親友」かどうかも疑わしいです。が、まあ、それは置いておきます。

ところで、私はこの作品の登場人物たちの人間関係やその心理の分析をしたいわけではありません。
知りたいのは、メロスの走りです。昨者とっては「走ること」よりも他のことが大事かもしれません。しかし、私は「ランナーとしてのメロス」にしか興味がありません。必死で走るときの人の有りようを知りたいのです。なので今回は、ランナーとしてのメロスにとって重要だったことだけを見ていこうと思います。

メロスはどんな走りをしたのか?

『走れメロス』の主人公メロスは、シラクスという街から故郷までの10里の道を往復します。自分の身代わりに人質となった親友を、残虐な王様から解放するためです(走りとはこの辺りの状況の説明も省略)。

10里はだいたい40km。フルマラソンの距離くらい。
帰りも40kmで計80km。この往復80kmを3日間で行えばいい。距離だけなら大して難しくありません。フルマラソン完走したことがあるランナーならそれほどではないです。

しかし、この40kmの道のり、どうやらフラットではありません。「ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり」とあります。
」があるのです。
メロスはトレランをしていたのです。

トレランの40kmは、フラットなマラソンに比べて体力的にかなり厳しくなります。時間も倍増する可能性もあります。山の標高や高低差、道の険しさについては書かれていないので、どうなのかわかりませんが、普通のマラソンコースよりはずっと難しいはず。

故郷に向かう「往路」は、深夜にシラクスの町を出て一睡もせず翌日の午前に故郷に到着。徹夜でランニングはなかなかハードですね。

故郷からの帰り「復路」は、二日後(3日目)の早朝に出て陽が沈むまでに戻らなければなりません。しかし、うっかり者のメロスは妹の結婚の祝宴に参加して寝坊までする始末。とはいえ、休養は十分とれたでしょうし、早朝だったのでまだ時間に余裕がありました。途中、間に合うことが確実になると、なんとウォーキングに切り替えるのん気さです。親友への想いを疑りたくなりますが、これも重要ではありません。

ところが、やはり物語です。豪雨で橋が落ちた川の濁流を渡ることになったり、山賊に命を狙われたりと、走り以上に道中の出来事が困難。しかし、私が知りたいのは、こういった偶発的な事件の顛末ではありません。あくまで、マラソン文学としての『走れメロス』ランナーのメロスなのです。

ランナーとしてのメロスはどうなの?

メロスのランナーとしての力を見てみましょう。
そもそも練習もなくいきなり40kmを走るというのはふつうの人には無理があります。マラソンランナーなら、練習もなく40km走ることがいかに困難なのか知っています。しかも山越えのトレラン。途中歩いたとはいえ、40kmを自分の足で移動するのは途方もない脚力持ち主に見えます。

メロスはその困難をやすやすとやってのけます。けっこうな体力自慢の韋駄天というところでしょう。この走りに加えて、濁流を泳ぎ切り、山賊をやっつけます。トライアスロンに近いかもしれませんが、そんなものではありません。どちらも命がけですから、ストレスも大きい。心身ともにツライでしょう。

しかし、そんなスーパーマンのメロスでも、さすがに、トレラン、洪水、山賊退治で疲れ果ててしまいます。そして、ついには血まで吐いてしまいます
呼吸もできず二度三度、口から血が噴き出た

吐血の原因は何なのかはわかりません。が、もし現代のマラソンやトレランのレースだったら、即中止ですね・・・

物語ですから、もちろん血を吐くのもなんでもありですが、走りすぎて血を吐くというのは、もともとどこか悪かったような気がします。脱水や熱中症で気を失ってしまうというのは現代のマラソンでもあると思いますが血を吐くのはひどい。よほどの重症です。
 それでも走ったメロスは、牧人(羊飼い?)なので足が強かったのでしょう。体力はとにかくある。根性もあります。

「走れメロス」のリアリティ

いきなり40kmトレイルを走れてしまう屈強な男メロス。つくり話のスーパーヒーローに見えてしまいますが、そうではありません。人間的な一面ももっています。

一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。

峠を登り切って、ゼエゼエ呼吸をしてしまうメロス。全文を通して「荒い呼吸」の描写はここだけですが、山をのぼり切り息が上がるこの部分はリアリティを感じさせます。ランナー目線では、血を吐くのはリアルに感じませんが、息が上がるのはリアルっぽい。

ところで、なぜメロスはこんなにゼエゼエ走るのでしょうか?それは親友を裏切らないという信念があるから
この信念こそが、メロスの走りの原動力です。箱根駅伝でタスキをつなぐ選手の責任感にも似ています。この作品が教科書に載るのは、この辺りを学んで欲しいからでしょうか?

この物語にリアリティを与えるものがもう一つあります。それは、メロスの心に生まれる「葛藤」です。

濁流の川を渡り、山をのぼり、山賊と戦うと、さすがのメロスも疲れます。ここに午後の暑い陽ざしが メロスにふりそそぎ、意識をもうろうとさせます。
この肉体的な疲労の極限で、勇者メロスが悪い気を起こしかけます。
濁流と山賊を全力で切り抜けた自分を、よくやったと言い、自分を誉めます
ほかの人間ならできないようなことを自分はやった。だから、たとえ完走できなくてもよいだろう、と考えます。全力は尽くしたという言い訳。人間的、あまりに人間的。

この人間的な葛藤が私にはよくわかります!わかりすぎるほどわかるのがツライ(笑)
私はフルマラソンに参加すると途中でこういう葛藤によく出会うのです。「練習は限られた時間の中で精一杯やった。普通のサラリーマンは、マラソンなんかやらない。フルマラソンに参加しているだけでもすごいことだ」こんな言い訳が浮かんでは消え、レース途中で歩くことや棄権することを考えるのです。

もっとも、私はマラソン大会はよほどのことがない限り完走はします。しかし、途中で苦しくなったり足が痛くなったりすると、続けるか、棄権するかで心に葛藤が生じるのです。これもリアルです。マラソンレースの心理のリアル

メロスが走り切ったのは、親友からの信頼

私のような普通の市民ランナーも、マラソンでは苦しい思いをします。それでも完走できるのはメロスほど苦しくないからです。
また、前回書きましたが、「自己ベストを出したいという欲」と、「ライバルに勝ちたいという欲」。この2つの欲によって、ふつうのランナーが、マラソン大会でゼエゼエ走ってしまうのです。そして、私もまた、欲をベースにしてマラソンのゴールを目指すのです

一方、メロスは親友を人質に差し出す「ろくでなし」ですが、すでに書いたとおり、血を吐くまで走って親友との約束を守りました。メロスが葛藤を乗り越えて、予定時刻に間に合ったのは、自分を信じて待つ親友を裏切らないためです。

普通の市民ランナーは欲を力に走るので、意外と簡単に自分の目標となる自己ベスト更新を諦めてしまいがちです。

レースで自己ベストを出したい気持ち。その先には何があるのでしょうか?
自己ベストを出せばマラソン仲間に自慢できます。しかし、その程度の欲だから、血を吐くまで走ろうとは思えません。自己ベストを諦めて簡単に歩いてしまうでしょう。
それとも、自分に勝つことでしょうか?自分に勝つことを自分に約束しても、たいていの人は負けてしまうのではないでしょうか?ダイエット情報の氾濫をみれば、自分自身への約束が当てにならないことはよくわかります。

走れメロスの命がけの走りから学んだこと

マラソンでもなんでもそうですが、今の目標の先にあるものを見据える必要があります。それが他人に自慢したい程度の欲であるのなら、意外と簡単に諦められるし、実際に諦めてしまいます。
自己ベスト更新をより確実なものとするためには、メロスの信念のようなもっと大きな目的が必要かもしれないのです。

大切なひとからの信頼を裏切らないように走る。ふつうの市民ランナーがマラソン大会にこんな気持ちで参加することはほとんどないでしょう。とはいえ、大切な人との信頼や約束にこたえようという気持ちは、人生の大舞台で成功するための動機としてはとても強いものになりますし、苦難を乗り越えるためのエネルギーにもなるはずです。

『走れメロス』は物語です。メロスの走りは、超人的で、やや現実離れしています。しかし、メロスを完走へと導いたものは、その体力ではなく、大切な人への思いと相手からの信頼なのです。
ランニングは体力だけでなくメンタルも大切です。信念があれば、苦しさと葛藤を乗り超えて自分の力以上の力を発揮し、自分のマラソンを走りぬくことができる。こんなテーマを、マラソン文学としての『走れメロス』から今回私は読み取りました。

自己ベストの向こう側を目指して走る。ここにこそが、走り続けることの新しい可能性があるような予感がしています。

以上、40代後半ランナーの読書感想文でした。

2019年2月3日(日)、静岡県の森町で開催された「森町ロードレース」に参加しました。
(昨年の記事はこちら

森町いえば、あの「森の石松」。(マラソンとは関係ないですけどね)
元プロボクサーでタレントのガッツ石松さんは、森の石松から名前を取ったそうで、その理由が「死んでも直らないほどのおっちょこちょい」だからだそうです。森町が「ガッツ石松」までつながる不思議。
ちなみに、ガッツ石松さんといえば「OK牧場!」のダジャレが有名です。

森町、「遠州の小京都」

この「森町ロードレース」には何度も出ていますが、今回なぜか「遠州の小京都」という看板が目につきました。看板は会場に向かう道路と、レース途中で何度か見かけたのです。

今までは大して気にも留めていませんでした。それが気になったのは私自身が変化したということらしい。でも、今は観光に興味があるわけでもなく・・・。私の無意識に変化があったようです。

「遠州の小京都」については、こちらの森町観光協会さんのサイトでいろいろと紹介されていますので、ぜひご覧ください。

ちなみに、この日は節分だったので、「遠江国一宮 小國神社」では節分祭が行われたことでしょう。

私のレースの模様 in 「森町ロードレース2019」


さて、本題のレースに入ることにします。

会場到着:「森町はそれでも寒い」

会場到着は7:30。

森町は山奥なので、JR東海道線が走る海側から比べると気温はけっこう低いです。会場に着くまでに車で北上しますが、その間どんどん気温が下がっていくので、少し不安になりました。

会場に到着して車を降りてみると、風もなく快晴。そんなに寒くもなくて拍子抜けしました。(昨年は寒かったのです)

着替えを終わり少し時間をおいて、外に出ると日差しがさんさんと降り注ぎ、気温は上昇。暖かくて、逆に焦りました。暑いのが苦手な私は、気温が上がるとタイムが伸びないのです。

昨年の記録証と今年の記録証を比べるとこんな感じ。

昨年: 晴れ 気温6℃ 湿度39%
今年: 晴れ 気温11℃ 湿度49%

去年の方がだいぶ冷えていたようです。

気温上昇は地球温暖化と、緑地の減少が原因でしょう。最近の住宅は、敷地を雑草が生えないようにコンクリートなどで固めてしまうのが流行りみたいです。

とはいえ、森町は浜松の平野部よりは冷えています。森林も多く、太田川の清流で癒されます。走りやすい大好きな大会です。

そして、お茶と甘酒のサービスがあります。どっちも美味い!
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整列 ~ START: 横田に引き続き「ロードレース」はアツい!


この日は天気快晴、気温は真冬にしてはやや高め。暑さが苦手な私は、スタート前この気温の高さが心配でした。

スタート位置についたのは、9時15分。スタート時刻の15分前。

半袖でアームウォーマーが無くても全然寒くありませんでした。
前回の「フロストバイトロードレース2019」よりも暖かい。足踏みもせず、ただ突っ立っていても全然問題なし。「大丈夫か、この暖かさ???」

スタート前の様子↓(逆光w)
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やがてカウントダウンが始まり、10分前、5分前、と近づいていきます。 スタートの号砲は、森町の町長さん。先日の横田基地の「フロストバイト2019」では号砲が鳴りませんでしたが、ここ森町ロードレースでは、9:30にしっかりと号砲が鳴り響きました。(よかった、よかった。日本人は真面目ですね。そういう問題じゃないかw)

START ~ 5km: 体は軽い!

今回のレース前のコンディションは、まあまあでした。前回の「フロストバイト」でそれなりに走れたので、2週間程度の時間ならばある程度計算はできます。

気がかりは、体重
体脂肪率がいつの間にか増えていて、15.1%。体重は63kg。本当は61kgくらいにしたいところでしたが、うまく行きませんでした。

整列前に少しだけアップしましたが、体がとても軽くて調子がいい。しかし、レース前の「軽さ」には何度もだまされた経験があったので、半信半疑w。しっかりと数字(体重)を意識しておきました。

最初の3kmはキロ4:10で走りました。体が軽くて余裕があります。

さらに進んで4km通過、相変わらず気持ちよく走れました。しかし、やけに後ろから抜かれます。実力以上に前の位置からのスタートしたわけではないはずです。

「おかしいな」と思い、よくよく時計を見ると、ペースが4:30に落ちていましたw。同じように走っていたはずなんですけどねw。上り坂になるので、ペースが落ちるのは当然ですが、まさかこれほどとは!

5km ~ 11km: 上り坂を粘る、折り返しまで。

森町ロードレースは太田川を登っていき、折り返して下りになります。折り返しまではずっと緩い上りなので、苦しいことは苦しい。でも、傾斜が緩いからそれほどでもない。そんなコースです。

平坦なフロストバイトと違って、前半に頑張って粘れば、後半の楽な下りで挽回できます。 しかし、5km過ぎると同じペースでは苦しくなってきました。前年の記録を上回りたかったのですが、後半どうなるのか。

今回も途中でペースメーカーになってくれそうなランナーを(勝手に)探しましたが、残念ながらいませんでした。抜かされるか、抜くかのどちらかです。
どちらかといえば、抜かれることが多くて不甲斐ないレース。

ただ、小京都森町の山々は美しい。折り返しを目指し、そんなことを考えました。

「記録更新の夢破れて山河あり・・・」
いやいや、まだ終わっていません。後半に期待!

ということで、どうにか折り返し地点です。

11km ~ 17km: もはや独走状態

ハーフを過ぎると下りとなり、楽になってきました。ただ、思ったよりもペースが上がりません。

途中、上りで抜いたタンクトップの人が猛スピードで私を抜き去って行きます。「得意の下りでスイッチが入ったんだなあ」と感心しました。しかし、しばらくすると、なぜか失速。「ああ、ペース読み違えたんだなあ」と。下りになって嬉しかった気持ちは、私にはよーく理解できました。私も下りは嬉しかったw

私はというと、下りでペースはある程度上がったものの、イマイチ乗り切れない。そんな走りをしていると、ある異変に気づきました。

あれ?なんか独走状態なんですけどw

いつの間にか、前のランナーに引き離されて一人。後ろに足音も聞こえません。私の前のランナーは100m以上前にいて、カーブや曲がり角では姿が見えないのです。

マラソン中継を見ていると、集団から遅れてしまうランナーがいます。解説者は「どうにか食らいついて欲しいですね」などと無理なことを言うと思っていましたが、実際引き離されてしまうと、気持ちが切れてしまいそうになります。自分のペースがわかりませんし、一人なのでレースなのか練習なのかわからない気分に・・・

マラソンの選手は、なんとしても集団に喰らいついていって欲しいですww。

と、そんなことを考えながら、「これはいかん」とレースに集中。この時、ふと目を向けた太田川の清流はとても美しいものでした。

17km ~ ゴール

そして恒例の残り4km。レースの締めです。

独走状態のところ、後ろから追い上げてくる足音がきこえてきます。しばらく後ろにつかれましたが、残り3kmで横に並ばれ・・・

デカイ!長身の男性でした。そして抜かれました。

長身男性には少しずつ引き離されました。しかし、「なんとか喰らいつこう」wと頑張りました。ペースも上がりキロ4:05。

やがて、20km通過、残り1km。長身男性ははるか彼方にいます。すごい末脚です。残り1kmは キロ4分くらいでしたので、何人か抜きましたが、長身男性は一体どんなペースだったのか?脅威の末脚。

最後はゼエゼエ、ハアハア言いながらゴール! 記録は自分の時計で1時間29分台。昨年のこのレースよりは遅く、先月のフロストバイトよりは早い。友達以上恋人未満みたいなもんでしょうかね。違いますよねw


ゴール計測にマット導入!時代の変化に対応する森町ロードレース


今年のゴール地点には計測の係員がいませんでした。

例年、係員がアンテナのようなものを持ってゴールで待ち構え、ランナーのチップを計測してたのですが、今年はこのアナログな計測がなくなってしまいました。

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私はこの手作り感のある計測が大好きだったのですが、これも時代の流れ。人員を割かずにマットで自動計測をするのが正しい方向であることは間違いないでしょう。一昔前のテクノロジーは懐かしい感じがします

自分の生活にも少しずつ変化が起こって、懐かしいものが増えてきます。今回「遠州の小京都」の看板が気になったのは、そんな懐かしさからかもしれません。

そして、今回の私の走りは、前年より遅かったものの、先月より早かった。
とりあえず、走りは「OK牧場!」

次のレースは「静岡マラソン2019」です。


先週末、久しぶりに森林公園でランニングの練習しました。

次のレースの準備が目的でしたが、この練習にはそれ以上のもっと大切な意味がありました。

生活疲れ解消ランニング

おそらくどんな人でもそうだと思いますが、生きていると「何だかやる気が出ないとき」ってありますよね?

私は先週がそうでした。
何だかぼんやりしていて、それでいて他人がやることに腹が立ったりして、「なんなんだこいつは!」と苛立っていました。

私はもう40代も後半ですので、同じような経験を何度も重ねています。そういうイライラがどこから来るのか、何となくわかりました。
ストレスが蓄積しているのです。どこかで、この負債を解消する必要がありました。

自然の多いところでランニングでしてみる

今回に始まったことではないですが、ストレス解消にはけっこうランニングが効きます

ただし、どんなランニングでもよいわけではありません。私の場合は、ジムでトレッドミルで走ってもストレス解消になりません。レッドミルは人口の機械ですし、空間の移動もない。トレッドミルは逆にストレスとなってしまうこともあります。

なので、今回は自然の木々が多い場所を選びました。
頭を整理したいこともたくさんあったため、一人で走ることにしました。

かと言って、トレランというほどでもない

自然を走ることを考えたとき、山までいってトレランしても良いかな、とも思いました。
山道をいけば、さらに自然のパワーが感じられてとてもよいです。

しかし、問題は、山には何かと危険が多いということです。集中力がないと、転んだりするので気が抜けません。
そうなると「頭の整理」の部分で、これまでの状況を振り返って今後のことを考えることなどできなくなってしまいます。

自然を感じつつ、頭を整理しながらストレス解消。そうとなると、森林公園など、ある程度安全が確保された「人工的に整備された自然」がよいのです

ゆっくりと自分のペースで走る

朝6時起床。日曜の朝に早起きするのは辛いですが、走ってストレス解消することに決めていたため、意外とすんなり起きることができました。モチベーションが大事です。

朝の7時半に森林公園到着。外は寒い。
森林地帯は市街の住宅地より気温は低目。

まずコンビニで買ったコーヒーを飲みつつ音楽を聴く。
こころの準備をしっかりとしておけば、寒さに対する抵抗感は薄まります。
気楽に支度を始めて決して急がない。

8時過ぎにスタート。公園内をゆっくりと走りました。
体は思ったよりも軽い。
一週前には袋井マラソンで42.195kmを走ったので、体が走ることに慣れたようです。ランニングも遠ざかってしまうと、体が重くなった特に動き出しがつらくなります。
でも、今回は全然問題なし。我慢して完走した甲斐があったというものです。

ランニングで身体に問いかける


無理をせずに、体が疲れるまで走る

うまく言えないのですが、これまでの経験上、自分のペースで疲れるまで走るのが一番ストレス解消によいです。
速く走ってゼエゼエというのも、終わったあとに爽快感があります。
が、頭の整理という点で、考えながら走ることができません。苦しすぎます。

あくまでも、自分に心地よいペースを維持しながら、今のことを考える。
私が考えたのは、仕事のこと、家族のこと、お金のことといった現実的な問題。
走っていると当然、体の使い方やトイレについても考えたりするので、思考は中断します。それはそれで構いません。

重要なことは、自然にまた考えます。スマホもテレビもありませんから、中断しても考えていたことにすぐに戻ることができます。

否定的な感情をランニングでリセット

ランニングでストレス解消をするときに、何より良い点が否定的な感情のリセットできることです。

走っていると、他人からの理不尽な言葉を思い出して、怒りが湧いたりします。
そこで怒りの勢いを借りてペースを上げてみると、息が上がって怒りの感情が消えることもあります。
しかし、もっと大切なのは次のことです。
走り続けて体が疲れてくると、最終的には、昔の嫌な出来事などいちいち考えていられなくなる

会社や学校で何か嫌なことがあっても、走ることで否定的感情が消去されます。何か深刻な問題があっても、走っているといつの間にか冷静になっています。感情が消えた後は解決策を考えるなど、ポジティブなれることも。

「23km、約3時間」でスッキリしました

走ることで気持ちをリセットする。
自分の体に心地よいペースで走りながら、ストレスの原因となっている否定的感情と向き合う。怒りや悲しみが起きても、否定せずにそれを感じながらただ走ります。
そんな風にして、自分と対話していくのです。やがて体が疲れてきて、脳の状態も変わり、走る前のストレスは軽くなっていることでしょう。

結局、私は約23kmを3時間ほどかけて走りました
ひとり黙々と走り、足もまあまあ疲れました。途中で靴擦れが起きたので、走りに気を使いましたが、痛むこともなく「もういい」と思うまで走り切りました

友人に電話して飲みに出る

いろいろとすっきりしたので、しばらく連絡をとっていなかった友人に電話して、夜久々に飲むことにしました。何となく停滞しているときは、やる気も出ないし人と会うことも億劫(おっくう)になりますが、走ったことでそんな精神状況も改善しました。

その夜は、久しぶりに友と酒を酌み交わしました。気持ちよく楽しく過ごし、ほどほどに飲んで帰宅。
家では、スマホなどはいじらずに風呂に入ってすぐに就寝。
久しぶりに7時間ぐっすり眠ることができました。よく眠れるのもランニングの長所のひとつですね。

走ることは人間に与えられた偉大な能力である
こんなことを改めて感じた1日。
ランニングができることに感謝。本当はストレスがない生活がいいんですけどね。

 

今日のお題はかなりセンセーショナルなので驚いた人も多いことでしょう。
しかし、私はいたって真面目に書いています。
なぜなら私は走り出すと、まあまあおならが出る派だからです。
カミングアウト!

レース中のおなら劇

こんな記事を書いているのには理由があります。
先日の「袋井クラウンメロンマラソン2018」でかなり派手にやらかしている50代後半とおぼしき男性ランナーがいたからです。坂の多い袋井マラソンで、下り坂でブーブーやってました。 足が着地するごとに「ぷっぷっぶ」と良いテンポ。下り坂で脚の回転が速いためか、テンポも軽快でした(笑)

しばらくすると、ちがう40代後半くらいの男性が、同じようにテンポよくブーブーやってました。こちらは、鏡のごとく反射するサングラスをかけて、ファッションがキマッていたので、おならとのギャップが痛快でした。

私はこれまで様々なレースに出場し、たくさんの「おならンナー」たちと出会ってきました。出会ったレースはひとつやふたつではありません。あんなおなら、こんなおなら、色んなおならを聞いてきました。いい思い出です。いかにもな人がおならすると、おならが似合う人だな、と感心します。


女性はランニング中にしない?

ところで、私は女性の「おならンナー」に会ったことがありません。女性だっておならはします。だって人間だもの(相田みつを風にw)。女性はどうしているのでしょうか?

一方、「おならンナー」率がダントツなのはオジサンです。私もそんなオジサンの一人ですが、ご多聞にもれず、走るとけっこうおならします。オジサンに「おならンナー」が多いのは、「気にせずに出す人が多いから」ではないかとにらんでいます。(たぶん正解)

女性はももちろんおならが出る。たぶん出るけど、我慢しているか、絶対に聞こえない安全圏に入ったときにだけしているだと推測します。


走るとおならが出るものではないか? 

さっさく、ググってみました。
ランニング中におなら出てますね、皆さん!

例えば、ヒットしたこのヤフー知恵袋の記事にはある女性のランニング中のおならの悩みがでていました。そう、やっぱり、女性も出しているのです!

ただし、やり方がオッサンやジイサンよりも巧妙なのですね。「夜陰に紛れて」という言葉がありますが、車の騒音に紛れさせていらした(笑)。


なぜ走るとおならが出るのか?

これまで「ランニング中のおなら」について考えたことはありません。ランニングとは関係ないと思っていたからです。でも、先日の袋井マラソンで気づきました。みんなオナラをしているという事実に

ランニングをしていれば、のども乾くし、足やお腹もいたくなるもの。おならもランニングにはつきものなのかもしれません。


走るとおならが出る仕組みは?


またググってみました。

こちらのブログでは、「脂肪が燃焼するとおならになる」、などとうれしいこともおっしゃってます。走りながらおならが出るのは、「もしかして脂肪が燃焼しているかも」と思えば、憎いおならもかわいく見えてくるというものです。 

一般的な説では、「走ると腸の蠕動運動が刺激されて、内部のガスも排出されやすくなる」、あるいは、「走っていると空気を飲み込み、肺ではなく胃腸に空気が回ってしまいオナラになる」というようなものがありました。


レース中のおなら臭のゆくえ

レース中に「おならンナー」によく会いますが、外では臭いがしたことはありません。たぶん、外を走っていると、臭いが拡散してしまうからです。

オナラで不快なのは臭いですが、レース中はほぼ臭いません。だから、おならンナーの皆さんは、レース中はそんなに気にせずに出しても良いのではないでしょうか。

しかし、もしこれが屋内のトレッドミルで走っていたなら、「音」にも「臭い」にも気を付けたいところです。私はまだ恥じらいあるオジサンですので、ときどきトイレに「ガス抜き」にいくこともあります。音は騒音でごまかせるとしても、においはしばらく周辺に残っている可能性もあります。

一方、たとえレース中であっても気を付けたいのが、胃腸の調子が本格的に悪い場合です。気がつかず走り出したけど、実は下痢気味だったということもあります。おならと思って出したら・・・という恐怖体験もあり得ます(笑)。



今回は走ることとは直接関係ない話でしたが、ランニングは全身運動。脚、腕、体幹といったトレーニングに関することだけでく、内臓にまつわることも走ることには大いに関係があります。
たかがおなら、されどおなら。最近、すっかり胃腸が弱くなったオジサンランナーの考察でした。

↓こんな薬もありますので、気になる人はお試しあれ。





前回のつづきです。

天才の言葉は普通のひとにわかるのか?

ここからが問題になります。

「末端と末端がつながる」感覚は、彼のような天才アスリートにしかわからないことなのかどうか、ということです。

アスリートとはいえ同じ人間です。
たとえ凡人でも、天才の感覚を、ほんのわずかでも感じることができるかもしれません

私の場合は、つま先と指先に力をいれて走ってみても効果はありませんでした。
しかし、この「末端と末端がつながっていれば故障はしない」という言葉は私の記憶の隅に残りつづけました。


マラソンではなくヨガのレッスンで

私はヨガのレッスンを受けています。もう3年ぐらいやっていますが、今でもできないポーズがあります。それはランジの姿勢で身体をひねるポーズです。

今年の夏にヨガのレッスンに出ているときのことでした。このランジのボーズをとっているときに急に思いつきました。「足の指に力をいれてみよう」と。

この時は溝口選手の「末端と末端」については忘れていましたが、ふと思いついたのです。
前後に開いた足の指すべてに「グッ」と力を入れる。

すると、どういうわけか両脚の太ももにもうまく力が入り、腰から下が安定したのです。

帰宅途中、溝口選手の言葉を思い出し、考えました。
もしかすると、これが神経回路がつながるということ??

末端と末端ではありませんでしたが、足先と太もも内側がつながったのかもしれません。
嬉しくなり帰宅後、ひとりでもう一度ランジの姿勢で足の指に力を入れてみると、確かに下半身が安定しました。

新感覚はランニングにも応用できるのか?

足先と太もも内側がつながったような感覚。
これが本当に神経回路がつながったのかどうかはわかりません。
しかし、ヨガを3年やってきて一度も感じたことがなかった感覚です。

手足の指に力を込める。走ってみた時には、まったく効果がありませんでしたが、ヨガで太ももと何かがつながったような感じがしました。

そして、先日、もう一度も手足の指に力を込めて走ってみました。
相変わらず末端と末端がつながったかどうかはわかりませんでしたが、違った感覚がありました。

足先と太ももの内側がつながっている感覚があったのです。

足先の母指球辺りから太ももの内転筋くらいまでがつながって、連動している感じがするのです。それまで走っていてなかった感覚でした。


天才をわずかでも感じられたということで納得

溝口選手は、「末端と末端」つまり手先と足先のつながりについて話していました。私の場合は、つながったのは足先と太もも。
「末端と末端」ではなく「末端と中間」ということで、中途半端な感じです。でも、私の中では天才アスリートの言葉が身近に感じられて、少しだけ誇らしい気持ちになりました。

本を読むと、知識が増えますが本で得た知識を実生活で生かすことは難しいものです
しかし、今回は溝口選手の言葉に惹かれて、その意味を考えることで、自分の走りにわずかでも変化をもたらすことができました。

他の競技の一流選手の言葉もマラソンに生きることがある。
自分はそんな体験できたことが嬉しい文化系の人間なのだ、と改めて自覚したのでした。



●『一投に賭ける  溝口和洋、最後の無頼派アスリート』  上原善広著
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