一投に賭ける


かなり影響されました


皆さんはブルース・リーをご存じでしょうか?
そう、あのカンフー映画の世界的スターのことです。
私が小・中学生の頃は、テレビでよく彼の映画を見たもので、見た後はブルース・リーが必ず私に乗り移ります。
「アチャ、アチャー、アチャーーー」(そして眉間にしわを寄せる)

ジャッキー・チェンの映画も同様で気合が入ります。その後一週間ぐらいは修行モードが続き、腕立て伏せ、腹筋運動、パンチ、キックなどの練習を適当にやり、棒っ切れでヌンチャクもつくって頭に「たんこぶ」という名誉の傷もおいました。

こんな風に腕っぷしの強いヒーローを見て修行してしまうことを、私は勝手に「ブルース・リー効果」と呼んでいます。(学問的には正式な名称があるかもしれませんが、その点は深堀りしません)

ところで、溝口和洋というやり投げ選手をご存じでしょうか?
この本を読むまで私は知りませんでしたが、1980~90年代に活躍しオリンピックにも出場した選手です。この本のおかげで私は一気に彼のファンになりました。そして、無性に体を鍛えたくなりました。そうです。私の身に30年ぶりにブルース・リー効果が起きたのです!

私は40代後半ですので、影響されてやり投げをしたわけではありません。しかし、ブルース・リー効果で、夏の間練習をさぼり、"なげやり"だった私を、肉体の限界まで走り続けたいような気持にさせたくれたのです。


この本について


この本は「『本の雑誌』2016年度ノンフィクションベスト10」の第一位にも選ばれ、読みごたえ十分です。
著者の上原善広氏は、溝口選手に18年にもおよぶ取材を積み重ね、その文章の奥行きが溝口和洋という人物を浮かびあがらせます。
文体は、溝口選手が自分で自分のことを語る一人称スタイルで、まるで本当に本人が喋っているかのようなリアルさ。
読んでいると一匹オオカミの溝口選手の男臭さが伝わってきます。

著者の上原氏はこう語ります。
もともとは、彼のトレーニングと投擲技術の話だけで一冊の本にするつもりだった。「全身やり投げ」だった選手だからこそ、彼のトレーニングと技術論だけで、実験的なルポルタージュが書けると構想していたからだ。
その後、さらに試行錯誤をへて、私は彼を一人称というスタイルで書くことにした。これが溝口を余すことなく描き出す方法だと思ったのである。

溝口選手の個性と存在感は突出しています。
上原氏の文章力が、その個性を「余すことなく描き出す」ことに成功していて、ページをめくるごとに溝口選手の世界にグイグイと引き込まれます
その結果、私のような40代後半の男にブルース・リー効果が現れたのです。


溝口和洋選手について


溝口氏はやり投げの選手として80年代に国際舞台で活躍。体の小さい日本人(と言っても、溝口氏は180cmある)は力を使う投てき種目では不利と言われていましたが、溝口氏は外国人に勝つために独自の研究を積み重ねます。
そして、猛練習を続けることで体の大きな外国人たちと互角以上の戦いをし、1989年のワールドグランプリシリーズで世界総合2位に輝きます。

ランニングとやり投げは全然違います。持久力と瞬発力の違いです。それでも、この本を紹介したいのは、この本から得られるブルース・リー効果を、ぜひ味わってほしいからです。

溝口氏は練習に関してとにかくストイック。私などはマラソンの練習については、少しでも楽に練習して自己ベストを更新したいと考えています。練習も嫌いではないけど、正直なところ時どききつい(笑)。

トレーニング内容や競技に賭ける意気込みは完全に超人です。この本を読むランナーやそれ以外のひとに、この超人の個性から少しでも刺激を受けて、今後の練習や人生に役立ててほしいと思っています。


印象的だった3つのこと


とにもかくにも、まずこの本を読んで、溝口和洋というひとの独特な雰囲気を味わってほしい。
そんな本ですが、内容についても少し触れてみます。

溝口選手の競技への向き合い方から学んだことが多くありますが、ポイントを3つに絞ると以下のようになります。

1. ハードトレーニング
2. 精神力の強さ
3. 物事を深く考え突き詰める

ひとつずつ見ていきます。

1. ハードトレーニング

おそらく溝口選手のトレーニング内容のすさまじさを心に刻まれることになるでしょう。人間の限界を超えている、というか、もはや神の域です。

トレーニングは常にMAX、つまり限界になるまでやらなければ意味がない

限界とは何か?

この100%とは、全日本レベルの選手の三倍以上の質と量がある。例えば12時間ぶっとおしでトレーニングした後、2、3時間休んでさらに12時間練習することもあった。これだけやってようやく人間は、初めて限界に達する。

「12時間ぶっとおし」というのはもはや想像がつかない世界です。しかも、少し休んで再開するというほぼ24時間のトレーニング・・・

溝口選手のトレーニングはウェイトがメインですが、オフシーズンに母校の学生とともにベンチのみの練習をした時には、ほとんどの学生が倒れたというエピソードもあるほどです。この時に学生たちは何を思ったでしょうか?ぶっ倒れたのは気の毒ですが、超人と一緒に練習できたことは羨ましいです。

2. 精神力の強さ

では、超ハードトーニングをどのように続けたのか?
根性でカバーする」そうです。実は私はあまり根性論がすきではありません。しかし、次の文を読むとさすがに感心してしまいます。
人間というのは、肉体の限界を超えたところに、本当の限界がある。いわゆる「火事場の馬鹿力」というやつで、毎日、その「火事場の馬鹿力」を無理やり出せば良いだけのことだ。「火事場で焼け死ぬ」と思ってやれば、できないことはない。死ぬ気でやれば人間というのは大体何でもやれるものだ。
「火事場の馬鹿力」というのは、火事のときには凡人も人並以上の力を発揮するという意味ですが、毎日が火事のような生活。恐ろしい精神力です。

本人は自分を「執念深い」といいます。勝利に対する貪欲さが彼の精神の一部を形づくり、ハードトレーニングを支えます。その精神と肉体をもって初めて、体のでかい外国人選手と互角以上にわたりあえたのです。
体力がない日本人でも並外れた精神力で取り組めば、奇跡をおこせるということですね。
でも、溝口選手だからできたのだろうと思わずにはいられない。私もまだまだ修行が足りません。

ところで、自分に甘い私は、ひとりでマラソン練習するとサボりがちになります。なので、仲間たちとときどき一緒に走ることで、モチベーションを維持したりしています。
溝口選手の練習は基本的には一人で行い、コーチをつけていません。それでも超ハードトーニングを続けられる。ここに彼の精神の強さがうかがえます。

3. 物事を深く考え突き詰める

スポーツでは、強い精神があれば、どんなひとでもそこそこの成長と記録の向上を期待できます。しかし、優秀な才能がぶつかり合うトップレベルの戦いとなると、恵まれた身体と強い精神だけでは足りないもののようです。

溝口氏はワールドグランプリシリーズで年間総合2位に輝くことができました。身体の小さな日本人としては異例のことです。この偉業を達成するには精神力の強さとハードトーニングはもちろんですが、その他にもうひとつの才能が必要でした。それは、自分で問題点を見つけ合理的に改善していく能力です。

技術面の新発見に、コツというものがあるとしたら、これまでの常識をすべて疑い、一からヒトの動作を考えることだ。

たとえば、「後ろ向きで走ると遅い」ことは常識ですが、溝口選手は実際に後ろ向きに走ってみて遅いことを確かめました。それほどまでに合理的なのです。

ビジネスの世界でも同じだと思いますが、ただ言われたことをするだけでは一流にはなれません。もっと深く考え、進むべき方向を自ら選択し判断していかなければならないのです。
やるべきことと、やるべきではないことを自分で考えて決め、それを自分の意志で実行していく。進む方向が間違っていたなすぐに軌道修正する。そんな孤独な作業をひとりで続けて結果を残したひとりのアスリートの姿には、大いに学ぶことがありました。

まとめ

ランナーでもアスリートでも、そうでなくてもどんなひとにも読んでもらいたい本です。ぜひお読みください!

●『一投に賭ける  溝口和洋、最後の無頼派アスリート』  上原善広著
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