トレイルランニング(トレラン)の醍醐味は、「山を駆け下りる爽快感」をあげる人が多いのではないでしょうか?
確かにトレランの下りはスピードが出て楽しいものです。しかし、私がトレランを始めた当初は、そんな爽快感を楽しむ余裕などはありませんでした。
確かにトレランの下りはスピードが出て楽しいものです。しかし、私がトレランを始めた当初は、そんな爽快感を楽しむ余裕などはありませんでした。
山は下りが難しい
山に行くと大抵の場合、「登り」と「下り」のふたつがセットになっています。
「登り」はきつい反面、「下り」は重力を利用して簡単にスピードが出せます。しかし、スピードが出る「下り」では、バランスを崩しやすく、身体のコントロールが登りよりも難しくなります。
「登り」はきつい反面、「下り」は重力を利用して簡単にスピードが出せます。しかし、スピードが出る「下り」では、バランスを崩しやすく、身体のコントロールが登りよりも難しくなります。
また、トレイルは、石や木の根や枝など、障害物がいっぱいで、足の置場を常に考えなければなりません。そんな状況でスピードが出てしまうと、複雑な路面に対応する時間がさらに短くなり、誤った判断によるケガの可能性も高くなってしまいます。「下り」はスピードが出て忙しいのでケガをしやすい、ということです。
トレランに初めて参加した数年前、ロードのマラソンの経験があった私は、トレランの山下りの「走れなさ」に驚きました。マラソンとトレランはまったく別の競技だと初めて知ったのです。
山道は簡単には下りられない。その事実を知り、自分が「下り」が苦手であることを悟った私は、自分なりの山下りの解決策を探ることにしました。
工夫と失敗からのスタート
私はマラソンの延長でトレランを始めたため、その経験をもとに自分なりに工夫を重ねました。腹筋に力を入れてみたり、つま先を開いたり閉じたり、と様々な体の動きを山下りで試しました。
そして、そんな試行錯誤のなかからひとつの解決策が見えてきました。それは、腕をなるべく後ろに引くという方法でした。
腕を肩から後ろに引いてのけぞると、下り坂でもけっこう安定します。下り坂で重心が後ろになり身体が前に倒れ込むことを防ぎ、スピードが出過ぎないのです。
腕を肩から後ろに引いてのけぞると、下り坂でもけっこう安定します。下り坂で重心が後ろになり身体が前に倒れ込むことを防ぎ、スピードが出過ぎないのです。
この「工夫」に関しては当初、うまくいったように気がしました。何の工夫もなかった頃よりは、確かに良い。しかし、それまでののろのろ運転よりは多少速くなっていても、仲間たちには全然追いつけません。
結局のところ、私がしていた「後ろにのけぞる姿勢」は、身体が安定してバランスはよくなるものの、同時にブレーキをかけていたにすぎなかったのです。
下り坂で安定してブレーキをかける。これが私の「ノケゾリ走法」の効果で、基本の身体の動きはロードを走るときのまま。下り坂でスピードが出る分だけ余計に脚へ負担が大きく、トレラン翌日は太ももの前側の筋肉痛が激しくなりました。
このノケゾリ走法を積み重ねるうちに、副産物として太ももが強くはなりました。しかし、山下りは速くはならず、他の方法が必要だと悟りました。
恐怖心が体の動きを支配する
この最初の"工夫"の動機は何かといえば、それは間違いなく恐怖心です。
怖いから重心を後ろに持ってきてブレーキをかけたまま身体を安定させる。前後に身体がぶれないから安定はしますが、ブレーキをかけ続けているから、脚がシンドイ。
このブレーキは恐怖心の表れなのです。
このブレーキは恐怖心の表れなのです。
ところで、この恐怖心はどこからくるのでしょうか?
実は、私はトレランを始めて2年くらいまでに、足首の捻挫2度、手の指の骨折を1度経験しています。トレランというものは、やはりケガが多い。
ロードと比べれば注意すべきことが多すぎるほど多い。たとえば、舗装された道路ならば、数秒間目をつぶって走ることができても、山ではほぽ不可能です。
ロードと比べれば注意すべきことが多すぎるほど多い。たとえば、舗装された道路ならば、数秒間目をつぶって走ることができても、山ではほぽ不可能です。
山は石や木の根、滑りやすい苔など、危険がいっぱい。転倒時のケガや、滑落を恐れるの心理が、山を走るときの恐怖心なのです。
恐怖心をなくさないと楽しくない
私はケガをしてもなおトレランを続けています。ということは、山が危険だから嫌いになるというわけではありません。
ケガについても毎回するというわけでもない。だから、ケガを必要に恐れる必要はないのですが、私の行なったノケゾリ走法の根本には、下り坂に対する恐怖がありました。
ケガについても毎回するというわけでもない。だから、ケガを必要に恐れる必要はないのですが、私の行なったノケゾリ走法の根本には、下り坂に対する恐怖がありました。
腕を引いてのけぞると身体が安定すると同時にブレーキがかかる。これで恐怖がわずかに薄まります。とりあえず恐怖心が和らぐために、ノケゾリ走法を身につけて以来、しばらくは気持ちよくのけぞって山道を下っていました。
しかし、ここに問題が起こりました。それは、あまり楽しくないということでした。
まず、のけぞって走ると、スピードが出ません。その結果、仲間と一緒に走ると遅れてしまいがちになります。これが楽しくない理由のひとつ。
もうひとつの理由は、恐怖心が消えないということ。のけぞるのは恐怖心がベースにありますから、それを維持したままの走りは楽しくないは当然です。
しかし、ここに問題が起こりました。それは、あまり楽しくないということでした。
まず、のけぞって走ると、スピードが出ません。その結果、仲間と一緒に走ると遅れてしまいがちになります。これが楽しくない理由のひとつ。
もうひとつの理由は、恐怖心が消えないということ。のけぞるのは恐怖心がベースにありますから、それを維持したままの走りは楽しくないは当然です。
スピードを抑えるだけでは楽しくありません。
もう少し楽しくトレランをするためには、発想の転換が必要でした。
もう少し楽しくトレランをするためには、発想の転換が必要でした。
「ノケゾリ」のパラドクス
私がそんな「のけぞるトレラン」を続けているある日、ネットを見ていると、心理学についてのある記事が目に留まりました。
そこに書かれていたのは「笑顔をつくると楽しい気持ちになる」というようなことでした。普通は、楽しいから笑顔になると考えますが、笑顔を意識的につくる、つまり「つくり笑顔」だけでも明るい気持ちになる言うのです。これをトレランに応用するなら、「楽しく走るには笑顔をつくればいい(???)」ということになります。
私はさっそくこの方法を取り入れ、ノケゾリ走法で笑顔をつくってみました。
結果は・・・引きつった笑顔で顔がこわばりました(笑)。緊張のせいで、逆に恐怖が意識されてしまい失敗でした。
私はさっそくこの方法を取り入れ、ノケゾリ走法で笑顔をつくってみました。
結果は・・・引きつった笑顔で顔がこわばりました(笑)。緊張のせいで、逆に恐怖が意識されてしまい失敗でした。
このとき、私はひとつの気づきを得ました。
もし「ノケゾリ走法」が恐怖を表現しているのなら、これを続けているかぎり恐怖から逃れられない。ノケゾリは恐怖に対する処方箋のひとつではあるが、ブレーキの役割があるノケゾリの根っこには恐怖がある。この「ノケゾリのパラドクス」を解消しなければ、トレランを楽しくすることができません。
もし「ノケゾリ走法」が恐怖を表現しているのなら、これを続けているかぎり恐怖から逃れられない。ノケゾリは恐怖に対する処方箋のひとつではあるが、ブレーキの役割があるノケゾリの根っこには恐怖がある。この「ノケゾリのパラドクス」を解消しなければ、トレランを楽しくすることができません。
つまり恐怖心をなくすことが大切だと気づいたのです。
というわけで、今度はのけぞらなくて走れる方法を探ることにしました。
つづく
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