なぜ走る? 文化系レベルランニング

東京マラソン2010にたまたま当選してしまった「読書が趣味」の文化系人間。40代半ばを過ぎた今も、なぜ走り続けているのか? 走ることの意味を問い続ける平凡なランナーが、身体や心理のことからグッズ、レース、書籍のことまで幅広い視点から展開する、一味違うランニングブログです。

2017年04月

以前、風邪は気合いランニングでは治せないので、静養するのが正解という記事を書きました。( マラソンタイムは上がっても、風邪は気合だけでは治らなかった話

今回は、これとは逆に、気合いのランニングで身体のだるさがふっ飛んだ話をすることにします。

前回の記事で、週末は風邪のために家で寝て過ごしたことを書きました。
この風邪の症状は、先週月曜に鼻炎の症状が出て風邪薬を飲んだことから始まりました。水曜になっても症状は変わらず鼻炎だけで身体はだるくもない。
風邪とは何か違うので、知り合いに話してみたら、花粉症ではないかと言われました。

花粉症と思ったもの束の間、今度は急に微熱が出るようになったため、
これはやはり風邪だと納得して週末はなるべく安静に過ごしましたというわけです。
週が明けて今週月曜の朝になると、鼻炎も熱も収まったものの、時々、思い出したように微熱が出る状態が続きました。


花粉症であると再宣告される

身体を少しは動かす必要があると思い火曜にスポーツジムにいき、ランニング仲間のAさんと話していると、それは花粉症だと言われました。よくよく聞いてみると、花粉症は鼻や目にアレルギー反応を起こすだけではなく、熱まで出るというのです。
知らなかった・・・花粉症って本当に大変なんですね・・・
私も熱で身体がだるくて動きが鈍くなりました。
確かに、自分でも風邪の症状としては、鼻炎と熱だけだからおかしいと思ってはいました。

「耳鼻科に行った方がよい」と言われましたが、混んでいる病院が嫌いでピロリ菌の治療も自分で行った私ですので、何とかここは自力で治したい。


「病は気から」を思い出す

ここで思い出したのが、こちらで紹介した『「病は気から」を科学する』という本。この本は、
身体の症状は、心や気持ちの影響が意外と大きいということを多くの例を挙げて紹介しています。

この本では「マラソンの疲労は、脳が作り出す防御的な疲労である」ということで、疲労には身体よりも脳の影響が大きいと説明しています。

私がAさんから花粉症の症状について「身体が花粉を病原菌と勘違いして、防御反応の一つとして熱を出す」ということを聞いたとき、この本の疲労と脳の関係を思い出したのです。

花粉症の「脳の勘違いによる発熱」は、マラソン時の「脳の防衛反応による疲労」に似ている。
(私が勝手に思っているだけですけど)

花粉症の発熱も、マラソンの疲労も原因は脳の勘違い(?)


そして脳の勘違いをふっ飛ばす走りに

ここからは、自分の身体を使った実験となります。(※真似しない方がいいかも)

私は次の仮説を立てました。

発熱が花粉に対する脳の勘違いから生まれるとすれば、しっかり走れる身体であることを脳に教えてあげれば、脳は自分の身体が健康だと考え断続的発熱を止めるのではないか
 
この仮説に基づいて、昨日、少し身体がだるかったもののランニングマシンを使い実際に10km走ってみました
時速11km(キロ5分45秒)でゆっくりと。走り始めるとすぐに汗が出てきました。
2kmまでは重かったものの、それ以降は身体が動き始めました。
しばらく走っていなかったため、6kmぐらい走ると疲れが出始めました。
しかし、気合を入れて、花粉症を吹き飛ばすためにスピードを落とさず走り続けました。
そして何とかペースを落とさず10kmを完走しました。

終わってみるとほどほどに汗をかいて爽快。久しぶりにランニングをして体が軽く感じられました
走り終えると、夜も10時を過ぎていたため自宅に帰るとすぐに寝てしまいました。


そして翌朝(今朝)

目覚めてみると、鼻炎も寒気も感じません。身体もいつもよりも軽く感じられます
試しに鼻をかんでみても、詰まっているものもないようです。
昨晩の10kmランニングが効果を発揮したのかもしれません!
うまいこと脳の勘違いを正すことができたようです。

体の調子が良くなり今日1日は活動的に過ごすことができました。
やる気に満ち溢れ、会う人たちには笑顔を乱発し、買い物のレジでは順番を譲ってあげるほど親切な人間になりました。効果は絶大!


しかし・・・

夕方になると、体が少し重いと感じる
ようになりました。
どうやら頭がぼーっとしてきたようです。
うーん、つまり、ランニングで花粉症を退治できたのは、1日にも満たない短い時間であったということ、でした・・・
今はこれを書いていますが、頭はすっきりで微熱もありません。
ですが、明日の夕方にはまた微熱が出そうな気がしています。

それでも継続は力なりと言います。
明日もう一度走ってみて花粉症を飛ばしたいと思っています。
ひと月もすればきっと花粉症も消えていることでしょう。
その時はきっと花粉も消えているでしょうから。

 

今年は桜の開花が遅かったものの、最近暖かくなってきたためか、それとも記録狙いのレースがなくなったせいか、私も心に油断があったようで、風邪を引いてしまいました。
昨日は、掛川新茶マラソンの応援を予定していましたが、少し熱があったためキャンセルし、家で寝て過ごすこととなりました。


寝ていて思う走ること

こんな風に週末を過ごすのは何か月ぶりなのか思い出せません。土日のどちらかはだいたい走っているのでも寝て過ごす週末が少し新鮮。最近は身体を鍛えてばかりで疲労がたまっていたので気分転換にもなりました。
とはいえ、昨日は、フルマラソンを走っているひとがいるのに、こちらは身体がだるくてダウンという状況。頭痛がひどく、その苦しみが早く消え去ることを祈るばかりでした。やっぱり健康が一番大事だなあ、と基本中の基本について再認識させられることとなりました。


走っていて苦しい人、苦しくて寝てる人

頭痛と微熱は幸いにも収まったところで、今日は、改めて身体の「苦しさ」というものについて考えてみることにしました。
昨日は横になって病人として過ごしましたが、身体の苦しさは病人とマラソンランナーで違います。病人は病気の症状により苦しい。これに対して、レース中のランナーは一生懸命走っているから苦しい(のんびり会話しながら走っていたら苦しくないです)。同じ「苦しい」でも病人とランナーでは意味合いが違います。

受動的か能動的か

病気やケガの苦しさからは、治らなければ解放されません。治るかどうかは自分の意志で自由に決められず、意志が通用するのは治そうという気持ちの部分だけです。
一方、必死で走るランナーの苦しみは、身体の疲労がおもな原因で(重度の脱水症や捻挫などの病気やケガとは別の話です)、走ることを止めれば終わるものです。

病気やケガは受動的で、自分の意志で苦しみから逃れることは難しく、一生懸命走ることは能動的で、自分の意志で体力限界の走りを止めさえすれば苦しみは終わります。


ランナーが自ら苦しんで得るもの

マラソンランナーの苦しみは、病気と違っていつでも終わらせることができる。まずこの自由さが、苦しさを軽くします。
苦しくなったら歩いてしまえばいいですし、歩いても苦しければリタイアして収容バスに乗ってしまえばそこで完全に身体的な苦しさからは開放されます(もちろん心理的な苦しさが生まれるリスクもありますが・・・)。
マラソンの苦しさは、病気と比べれば仮の苦しさです。もし、走るときの苦しさがまったく制御不能だとしたら、マラソンをする人はいないでしょう。

しかし、それ以上に大切なことは、どんなに苦しくてもその苦しさが必ず終わることを知っている点です。病気が不安なのは、苦しさがいつまで続くのかわからないことです。

そして、マラソンランナーが苦しみから解放される一番の解決策は、ゴールすることです。
いつでも苦しみから解放される権利を持っていながらそれを行使せず、フルマラソンなら42.195kmを走り切る。ここにマラソンにおける苦しみの意味があります。

では、なぜマラソンランナーが好んで苦しむかと言えば、自分にとってのベストの形でゴールしたいからです(ベストの走りでなければ苦しくありません。たぶん)。

マラソンランナーが得るものは、完走や自己ベスト更新などの達成感や自己満足などいろいろとあると思いますが、そんなことより実は苦しんでゴールするのが単純に楽しいからマラソンに出るのではないか?
そういう何の役に立つのかわからないことが楽しいのが、スポーツであり、ゲームであり、遊びというものの本質なのだ、と結論づけた病み上がりの私でした。 

今回はハンマー投げのアテネ五輪金メダリストの室伏広治さんが書いた「超える力」を紹介します。




身体能力がスゴイ

室伏さんと言えば、オリンピックのほか数多くの国際大会で輝かしい成績を収めているので(プロフィール「オフィシャルサイト」)、みなさんよくご存知と思います。
スポーツ選手や芸能人と力と技を競うテレビ番組などで、その類まれな身体能力を見せつけられたものです。何年か前にプロ野球の始球式でボールを投げた時は、よく見る野球のピーチャーとは明らかに違うフォームで剛速球を投げたことが話題になりました(YouTube動画はこちら)。


身体の癒着について

この「超える力」には、室伏さんのハンマー投げに対する姿勢や、五輪の舞台裏など面白い話がたくさんありますが、私が特に興味を持ったのが身体の「癒着」について室伏さんが語っている一節でした。

身体の癒着を取るトレーニングも重要だ。
わかりやすい例が、手の小指だけを曲げようとすると、薬指も曲がってしまうことがある。これが癒着である。これを意識して小指だけ曲げるように集中すれば、癒着を取る訓練となる。
ハンマー投げで言えば、臀部と腰が癒着しているとハンマーの重さを臀部にかけるのが難しいが、分離していると、ワイヤーを通じて臀部の重さがハンマーに伝わり、加速させやすくなる。その結果、理論的には距離を伸ばしやすくなるのだ。

身体のある部分を動かそうとすると隣接する他の部分も動いてしまうのが「癒着」という現象のようです。小指を動かそうとすれば薬指も動いてしまう現象には、前からうすうす気づいていましたが、これが癒着という現象だと指摘されてみて初めてそういうことかと納得し意識できるようになります。
これが意識化されないと、「ああ、小指うごかすと薬指もうごくなあ」で終わってしまい記憶にも残りません。

癒着をとってケガの予防

室伏さんは続けてこう語ります。

 癒着を取る訓練をしていると、年を重ねても身体感覚が鋭敏になり身体の部位を自由に動かすことができる。私は背骨の一つ一つを動かすこともできる。余分な動きがなくなれば、疲労が蓄積しにくくなり、ケガの予防にもなると考えられる。

背骨の一つ一つって動かせるんですね・・・
背骨っていうのはいくつかの骨がつながって形成されているとは知っていましたが、一つ一つが独立して動くなどとは考えたこともありませんでした。
それぞれの骨を動かせないということは、癒着しているということになります。猫背などというのは、背中が丸まった形でその周りの筋肉などが癒着してしまい、伸びてこないということか。
しかし、どうやら訓練していると、だんだん動くようになってくるようです。私が背骨の一つ一つが動かせるようになるとは信じられませんが、「金メダリスト室伏広治」ならできる気がします。

背骨の件はさておき、癒着をとればケガの予防につながる、という点は見逃せません。
たとえば、癒着で固まった猫背を無理して反らそうすればたぶんケガをします。癒着してしまった股関節を無理して広げて走ればこれもケガをしそうです。


癒着の訓練

室伏さんは、上の文で"意識して小指だけ曲げるように集中すれば、癒着を取る訓練となる"と言います。私も実際に試してみましたが、次の2点に気づきました。

1. 意識しなければ、薬指が小指の動きに簡単につられてしまう
2. 意識しても、ある位置からは薬指が動き出してしまう

1については「意識」と「集中力」大切ということです。2については、筋肉なのか腱なのかよくわかりませんが、関節部分が固まっているのが原因です。
これを踏まえて他の関節についても訓練する必要があります。

・動かす部分に意識を集中すること
・間接の可動域を広げるような訓練をすること

癒着をとるには、この2つがおそらく最低条件となります。


まとめ

可動域を広げるには、ストレッチやヨガなどさまざまな方法が提案されていますので、自分にあった方法でコツコツとやっていくことが大切でしょう。
しかし、可動域を考える前に癒着部分を特定する必要があります。私は体が硬いので、どこもかしこも癒着だらけですが、私が意識している目立つ部分(股関節や肩関節)以外にもたくさんありそうなので探してみたいと思っています。
一つ発見したのは、立った姿勢で片脚を伸ばたまま股関節から上にあげようとすると、水平になる前に膝が曲がってしまうことです。左右差があり、左脚の方が上がりません。
癒着発見と矯正により、ケガ予防とランニングフォーム改善につなげたいところです。


先日、「夜と霧」でナチスの強制収容所体験を描いたヴィクトール・E・フランクルの思想について書かれた「知の教科書 フランクル」(諸富祥彦著)という本を読んでいたら「中年クライシス」という言葉が出てきました。


「中年クライシス」とは

「中年クライシス」とは、人生の折り返し地点にさしかかった中年世代が自分の人生の意味を問い直す際に生じる心理的不安定、といったもので「中年の危機」とも呼ばれます。中高年になった人間が、若い時にあった可能性を失ったとき、現実の自分をどう受け入れていくかが問題になります。

「自分が本当にしたいことはなにか」という自己実現の問いが若い世代の問いであるのに対して、「自分の人生を意味あるものとするには、残りの人生をどのように生きるべきか」という意味実現の問いあるいは使命実現の問いが中高年の問いとなると著者の諸富氏は言います。

私はこの部分を読んで、40歳前後でマラソンを始める人が多いことと「中年クライシス」には何か関係があるのではないかと考えました。


私がマラソンを始めたのも中年期

私がマラソンを始めたのは38歳の時で、やはり中年に差し掛かった時代でした。マラソンのきっかけは、東京マラソンにたまたま当選したことで、精神的不安や残りの人生についての考えがあったわけではありません。しかし、フルマラソンに応募して、しかも出場したということは、人生の下り坂を無意識に感じ取っていたのかもしれません。

40歳ぐらいになると、30代前半までと比べて疲労や怪我からの回復力がかなり落ちてきます。また、社会的には家庭を持ったり、会社でのポジションがほぼ見えてきたりと、後半の人生に大きな変化の可能性が感じにくくなってきます。そういう時に、マラソンに目覚めるというのはどういうことなのでしょうか?


ランニングを始めたきっかけは?

世間の人がランニングを始めた動機についてネットで調べてみました。
RUNNETの「ランナー世論調査2016」によると次のようになっています。

RUN始めの動機

第1位が「運動不足解消」、第2位が「健康のため」、第3位が「ダイエット」、と上位3つが身体的なもので、精神的な何かに関するものは第4位の「ストレス解消」、第8位の「楽しそうだから」、第9位の「精神鍛錬のため」でした。
ランニングを始める動機は、やはり身体的なものが普通です。
「最近、太ってきたから走るかあ」「健康診断の結果がヤバいから走る」というのがよくあるものでしょう。
しかし、始めるきっかけというのは、単にきっかけでしかなく、同じ始めた人の中でも続く人と続かない人の間には大きな隔たりがあります。
そこで、同調査にある「続ける理由」というものも見てみることにします。


ランニングを続ける理由

RUN続ける動機

ランニングを続ける理由は、第1位が「レース出場にむけて」、第2位が「健康のため」、第3位が「楽しいから」となり、純粋に身体的なものではない「レース出場」と「楽しさ」が上位に入ってきました。第5位の「目標達成のため」第6位の「走力向上のため」はレースタイムや完走などが関係していて、何らかの成長を求める向上心が関わっていると思われます。

RUNNETはレース情報と申し込みがメインのサイトですから、ここでアンケートに答える人はレース経験があるひとばかりだと思いますが、ランニングを続ける人の多くは、健康や体力維持のためだけはく、自分自身の進歩・進化というものを念頭に置いていると思います。私もまた、ご存知の通り、レースタイムを上げて自分が進歩していくことに楽しみを見出しています。


ランニングをやめる理由

●上り坂世代(若者)

ところで、こちらの記事(1年以内にランニングを辞めている人は約7割! その理由は?…デサント調べ)にデサントさんの調査による「6ヵ月以内にランニングをやめた理由」が出ていました。
5位までだけを紹介しますが、下のようになります。

 1位:走ることが億劫になった
 2位:仕事など他のことが忙しくなった
 3位:生活リズムの変化により走る時間がなくなった
 4位:なんとなく走りたくなくなった
 5位:精神的な疲れ

何となくわかりますね。走り始めた人が、走ることに興味をもてなかったのでしょう。
この調査は20代・30代の男女225名を対象に行ったそうですが、まだ人生上り坂な感じの人たちの答えのような気がします。走らなくても他にも楽しみがいっぱいある感じだし、まだまだ他に自分のやりたいことを追求できる余裕がある気がする(笑)。
 
ここからは、統計ではなく私の知人についてのことになりますが、私は、マラソンを始めたもののやめてしまった20代女子を3人ほど知っています。やめた理由は、ひとりは「レースに出てみたが疲れただけだった」、ひとりは「友達(女子)と比べて肌が黒くなっていることに気づいて嫌になった」、もうひとりは、「仲間どうしの付き合いで走っていたのだが、付き合いがなくなってやめてしまった」というものでした。タイムでも楽しさでも、何でもいいから走ることそのものに何らかの意義を見出せないと続かないものでしょうね。

●下り坂世代(中高年)

ランニングを続けていてやめてしまった中高年男性も3人知っていますが、ひとりは60代で「心臓病でドクターストップ」、ひとりは50代で「膝が痛くなりなかなか治らずやめた」、もうひとりも50代で「がんの手術をした」という理由です。中年以上の男性は健康を害してやめるひとが多いです。理由もなかなか切実・・・。走ること自体は続けたいけれど、身体がいうことを聞かないということでしょうね。中高年の女性は、私の周りの女性は皆続けているので、やめる理由はわかりません。


マラソンがもたらすもの

ランニングをはじめるきっかけは、一般的に、「健康」と「美容(ダイエットなど)」についての動機であることが一番のようです。きっかけがあれば、すべて人にランニングへの道が開かれるのですが、相性があり続く人と続かない人に分かれることになります。
若い世代は、家庭を持っていないひとも多く、仕事の能力もまだまだ発展途上。遊びもいろんなことをしたいですから、ランニングを始めるきっかけがあっても長続きするひとは少ないかもしれません。数ある可能性と選択肢の中からランニングを選んで続けるには相性がかなり良くないと難しい気がします。

中高年は若者に比べて、スポーツをはじめるにも選択肢がすくないですし、仕事や家庭についてもある程度落ち着いているひとが多く、健康のことも考えればランニングを続けやすい条件がそろっているようです。
調査結果を見ると、ランニングを続ける理由は「レース出場に向けて」が一番で、健康だけでなく楽しさや達成感、記録の向上など、走ること自体がもたらす結果に強く結びついています。
ランニングというスポーツはシンプルで走れさえすればよく、かつ、速く走れれば記録が伸びて成長できるという意味で、下り坂世代でも簡単に成長を実感できます
「中年クライシス」は、残りの人生に意味を見つけることと関係します。人生の意味を、実生活とは関係ない趣味のマラソンに見出せるかどうかは微妙なところですが、仮に仕事や家庭に意味を見いだせない状況にあったとしたら、ランニングでの成長は中高年にも大きな自信をもたらしてくれることは間違いありません。
また、身体が鍛えられ強くなることで若さを感じられることも、中高年に「まだまだやれる」という希望をあたえることでしょう。
折り返し地点を過ぎた下り坂の人生に新たな意味や使命を見出すことは、ランニングだけでは難しいかもしれませんが、自信を与えるという点からみれば、ランニングが「中年クライシス」を乗り越えるための大きな助けになるはずです。中高年でランニングを始めるひとが多いのは、ここに秘密がありそうです。



 

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