なぜ走る? 文化系レベルランニング

東京マラソン2010にたまたま当選してしまった「読書が趣味」の文化系人間。 それ以来、50歳を過ぎた今も、なぜか走り続けています。 走ることにどんな意味があるのか? 「からだ」「こころ」「グッズ」「レース」「本」などから、走ることについて考える、ランニングブログです。

2015年12月

私の好きな人物に幕末・明治に活躍した山岡鉄舟がいます。

鉄舟は、剣・禅・書の達人でとにかく器が大きな人物です。幕臣として江戸無血開城に関わり、維新後は静岡で政治をして武士の失業対策に茶畑を作ったり、明治天皇の侍従として仕えたりと、様々なところで活躍しました。

鉄舟は身長六尺二寸(188cm)、体重二十八貫(105kg)という当時ではかなりの巨漢ですが、この体格でいながらかなりの健脚だったようで、こんなエピソードがあります。

酒席で夜中まで飲んでいると、「明朝、江戸から成田山参りに行こう」と酔った男に誘われ、「一緒に行く」と約束。誘った男は、二日酔いのため無理と謝ったが、鉄舟は、「約束したので」と朝4時から一人で成田山まで歩き、その日の深夜に歯のすり減った下駄で帰って来たといいます。江戸の神田の辺りから成田山まで往復140㎞と言いますから、すごい酒の強さと健脚です。

また、禅の修行のために三島の龍沢寺に3年間参禅した時には、江戸から三島まで月に何度も徒歩で往復したそうです。江戸から三島までは片道120㎞。この移動距離に箱根の山が途中に入るアップダウンもきつい難コース。修行とはいえ、本当にすごいです。

さて、私がマラソンを初めて6年になりますが、マラソンの距離42.195㎞に今も苦労しています。
「まだまだ修行が足りぬ」と思うと同時に、マラソン修行のランニングを通して山岡鉄舟の精神に少しでも近づきたいと思うのでした。

「東京マラソン2010」に出場して6年あまりが経ちました。
6年前は足が痛くて歩きましたが、最近は歩くことがなくなりました。

そして、この前の日曜日、静岡県袋井市の「袋井クラウンメロンマラソン」に出場しました。
初マラソンから6年が経ちタイムはというと、3時間45分でした。
地方マラソンにありがちな豊富なアップダウン。このコースで3時間45分というのは我ながら成長したなあ、と思います。
ちなみに、このクラウンメロンマラソンですが、完走すると美味しい本物のメロンが食べられる素敵な大会です。

現在、腸脛靭帯はほとんど痛くなりませんが、腰や膝の裏が痛くなります。今の課題は、今痛いところを直していくことで、そうすることでフォームが少しずつでも良くなっていくといいなあと思います。
まだまだ、練習が必要です。

2015年12月15日の私の自己ベストは3時間29分
昔と比べると2時間半早くなりました。2時間半あれば、簡単な新書の本なら1冊読める。でも、フルマラソン終わってすぐに本一冊読む気にならないのが悩ましいところです。

2月28日9時10分、みぞれ混じりの雨の中「東京マラソン2010」がスタートしました。

スタート直後はすっかり冷え切えた体は硬直。一緒にいたOさんとKちゃんとは、ランナーの人混みの中ですぐに分かれてしまいました。沿道には応援するひとがいっぱいで、ちょっとだけヒーロー気分。周りには仮装ランナーが様々な衣装で沿道の人たちを楽しませています。これが東京マラソンか!と感動しました

濡れた路面で靴はかなり重くなっていましたが、体調は悪くない。それなりに鍛えた脚は15km過ぎても持ちこたえました。20㎞過ぎても痛みは無く、奇跡が起きたと思いきや、25㎞付近の浅草橋の辺りかから、右脚の腸脛靭帯に違和感が起こり始めました。「やっぱり来た!」と少し落胆しましたが、冷静になり、無理せずペースを落としました。

浅草雷門を折り返し30㎞にさしかかるころから時々歩くようになりました。その辺りに友人が応援に来てくれていたので、無理して走って「大丈夫、大丈夫、頑張るぞ!」とニセの笑顔。しかし、銀座・歌舞伎座と35㎞に向かうころには、ほとんど歩いていました。

幸い雨が止み、体は冷えませんでしたが、疲労と脚の痛みはかなり増していました。。これがフルマラソンか。周りを見ると、スプレーを借りてシューシューやってる人、マイペースで走る人、食べ物をもらったりして楽しんでいる人、苦痛そのもので歩く人など様々。マラソン初心者らしきひとの多い私の集団は、まさに「人生いろいろ」でした。

そして、佃大橋の長い坂を歩き、豊洲駅をすぎ、必死でゴールを目指し、ひたすら我慢。応援が多い東京マラソン。いつまでも続く応援を励みに前進しました。

40㎞を過ぎると疲労と脚の痛みは極限に。やがてゴールが見えた時は感動したというより、「この苦痛があと少しで終わる」と思いました(笑)。ゴール手前では応援もさらに増え、歩いている自分が恥ずかしいけど体が動かない。最後だけは何とか走るような足取りにして、ゴール!タイムは5時間58分。とにかく終わってホッとしました。

着替えを済ませて、疲労で動かぬ体を動かして仲間の待つ居酒屋に移動。仲間たちの祝福を受けて乾杯!OさんとKちゃんも後から合流し、3人とも完走を果たしたことを祝ったのでした。

初フルマラソン完走。感動よりも苦痛の終わりにホッとした。これが正直な気持ちでした。

「東京マラソン2010」の当日、50代半ばのOさん(男)と30歳のKちゃん(女)と共に、文系オジサン(当時39歳)はスタート会場に入りました。

Oさんは私同様、冷やかしで応募したら当たってしまった人で、マラソンは完全に初心者。Kちゃんはマラソン歴2年の女性ランナーですが練習量は少なく、完走を目指すレベル。つまり私の仲間内で当選したのは、全員初心者。なので、数回一緒に練習したときは、同じレベルだったのでみんなでアドバイスしつつも、何となくライバル視するような気持ちもわずかにあって・・・

 私 「しかし、完走できるか心配ですよ」
Oさん 「何言ってるの。あんたたちは若いんだから大丈夫。私は膝が痛いしね・・・」
 私 「膝なら僕だって痛いですよ」
Kちゃん 「二人とも男なんだから頑張ってよ。わたし、ほとんど練習できなかったから、完走無理かも・・・」

こんな感じのネガティブトークがスタート前に炸裂していました(笑)。
不安がちょっと大きくて、失敗した時の言い訳みたいなものがついつい口にでてしまうんですよね。

やっぱり、マラソン大会は緊張する!

これは今でもそうですが、スタート前はどうしても緊張します。そして、トイレに行きたくなります。

2010年の東京マラソンはみぞれが降る悪天候。雨除けのゴミ袋を身にまとって、3人で震えながらスタート地点に並びました。

「横田基地マラソン2010」を終えると、「東京マラソン2010」へ残すところ5週間となりました。

この時、ハーフマラソン初完走を達成して脚力もついてきたので、勢いがあるうちにフルマラソンに向けて練習を開始。
横田基地のハーフマラソンは途中歩いてしまったため、21㎞を歩かずに完走することを目標として週末練習を行いました。

「ハーフ21㎞走ることができれば、残りを歩いたとしても7時間の制限時間内に完走できる」

細かく計算したわけではありませんが、ハーフマラソンを完走してみてこんな実感を得たので、Googleマップで調べて20㎞のコースを作って、さっそく翌週末からチャレンジしました。

第1週は、ゆっくり慎重に走ったものの、途中から例の持病(腸脛靭帯炎)が起きたため、ひどくならないうちに引き返しました。
第2週は、もうすこし走れましたが、また持病再発のため16㎞くらいしか走れませんでした。2週連続。ほとんど絶望的な気分。
第3週、ついに奇跡がおきました。脚に負担がかからないように、そっと、そぉっと走ると、痛みはあったものの何とか21㎞完走できたのです!

おっかなびっくりでも21㎞走りきる脚力が完成!

大会開催の2週前にハーフマラソンを走りきることができたことはかなりの自信になりました。
と同時に、文系人間の身体にも変化が表れ、少しずつですが、自分がスポーツマンになったような気分(※たぶん運動不足が解消された実感のようなものではないか)を味わえるようになっていました。

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