なぜ走る? 文化系レベルランニング

東京マラソン2010にたまたま当選してしまった「読書が趣味」の文化系人間。 それ以来、50歳を過ぎた今も、なぜか走り続けています。 走ることにどんな意味があるのか? 「からだ」「こころ」「グッズ」「レース」「本」などから、走ることについて考える、ランニングブログです。

2015年12月

ついに2015年も大晦日。朝食をとりながら「あっという間の一年だったなあ」と思いましたが、1年間のランニングを振り返る間もなく、今年最後のランニングに向かいました。

今日は、仲間たちと走り納め。朝9時に集合し、男女10人ほどで海岸沿いの遊歩道を往復15㎞走りました。今日のメンバーは、34歳~65歳と年齢層が幅広く、走力も様々。年末恒例行事ということで、のんびりと話しながら和気あいあいと走り出しました。

大晦日の記念ランは、やっぱりみんなで楽しく...のはずが、それは結局往路だけ。折り返し地点で仲良く写真など撮った後は、実力のある百田君(私と同い年)がのんびりペースに耐え切れず飛び出しました。すると若手(この高齢メンバー内で最年少)の本田君が待ってましたとばかりについていきます。これを見た私は迷いました。

行くべきか、行かざるべきか。ここで私も飛び出してしまうことは、「和」の精神に反する...と思う気持ちも
少しはありました。しかし、「せっかく大晦日に走るのだから、鍛えなければ損」ということで、結局、ついていきました。

同年代の実力者と、伸び盛りの若手。ついていくのはなかなかシンドイ。ペースは、5分/㎞からどんどん上がり4分/㎞に。そこから10分位で引き離されて、二人はどんどん小さくなっていきました。

実力不足... もう少し付いていけるつもりでした。それなのに、全然ついていけない。自分の走りに練習不足を大晦日に痛感する羽目になりました。

今年も残すところあと1時間半。来年はもう少し効率よく練習しようとテレビの格闘技を見ながら思いました。

よいお年を。

私、長年運動もせず本ばかり読んでいましたので、かなり体が硬いです。

それはもう昔からわかっていることでしたが、ランニングを続けて仲間ができて比べてみて、その硬さがハンパではないことがわかるようになりました。みんなでストレッチなどをする場面では、いつもダントツで硬いので、笑われるだけでなくとても驚かれたものです。

いつも笑われているのもなんですし、体が硬いと怪我もしやすいと聞きましたので、2年くらい前からジムに行ったときにはストレッチをして、肩回りを中心に股関節などのストレッチをするようになりました。
背中に上と下から手をまわしてつなぐ姿勢は、2年前は、下の手が骨盤の上部、上の手は首の付け根のあたり、と両手の間隔は30㎝は開いていました。その上、下の手は真横を向き、上の手に出会うには見当違いの方向を向いていました。

2年経った今、ストレッチをして10分ほどほぐすと両手の指先が付くようになりました。継続は力なり。しかし、それは片側だけで、右手と左手の上下を入れ替えると、10㎝ほどの距離が生まれてしまいます。

自己流ストレッチでは限界がある...

ということで、本日、専門家の指導を取り入れようと、ジムのプログラムにあるヨガのレッスンに参加しました。
ヨガはさすがに女性に人気。9割女性でしかもみなさん柔らかい。男性陣はほとんどの人が硬く、私とどっこいどっこいで安心しました。

今日のヨガは下半身が中心でした。私は2年間、肩回りを中心にストレッチをしていたので、下半身はけっこう硬いままです。前後の開脚などはとても人様にお見せできるようなものではなく、先生(男性)に「(ヨガの)必要性を感じますね」と言われてしまいました(笑)。ランナーの下半身が硬いのは、強靭な筋肉のせいだろうと思いたいところですが、大して速くもない自分にそんな立派な筋肉があるとは思えないので、怪我を防ぐためにも時々ヨガのレッスンを受けようと決めたのでした。

ストレッチ&ヨガは何に効くのか。継続したらどんな効果があるのか。走りだけでなく、他の効果も楽しみです。

中年男性の私の父は後期高齢者と呼ばれる年齢になっています。
脳梗塞にかかり障害が出たため、昼間はデイサービスのお世話になっています。

父の通うデイサービスはリハビリをしっかりとやってくれる施設で、先日見学に行ったところ、そこに通う人たちの人数に驚きました。やはり高齢化社会は確実に進行しているのですね。

そこでリハビリに励む人たちを見て思ったことは、普通に歩けるということは幸せであるということでした。日常生活で自分で立ち上がり歩いて動けるということは、例えば、自宅にいるとき、自分の意思で、自分の行きたい時にトイレに行けるということなのです。もちろん、歩けなければ不幸ということではありませんが、懸命にリハビリに励む人たちを見てこういう感想をもったわけです。

「走ること」は、「歩くこと」よりもさらに難易度が上がります。走ることは、必ずしも生活に不可欠というわけではありませんが、危険が迫って逃げるときなどには走る能力は重要です。

そして、スポーツとしてのランニングについて考えてみました。生活に不可欠であると感じる人は少ないでしょう。逆に、「お金もらってもマラソンなどしたくない」という人も沢山いるようです。

マラソンをする理由は、「達成感」「好奇心」「走ることが好き」などいろいろあると思いますが、日常生活に必要かどうかという視点から考えると、あまり必要がないということになりそうです。

前の週末は、土曜日20㎞、日曜日20㎞走りました。

2日間で約40㎞でフルマラソンに近くなります。40㎞を1日で走るのはなかなか大変ですが、1日20㎞となるとそれほどの距離ではないと感じます。

1日目の土曜日は、アップダウンのある山の公園を走りました。登りでは心拍数が上がり呼吸もゼェゼェします。下りは楽と言えば楽ですが、下りが続くと脚に衝撃が加わり膝や足首が痛くなってきます。私は下り坂が苦手でそぅっと走っているつもりですが、やっぱり膝と足首が痛くなりました。
2日目の日曜日は、平坦なコースを走りました。土曜日よりも少しだけペースを上げて走りましたが、前日の練習の疲労と衝撃によるダメージが脚に残り、数㎞走ると痛みが出て、ペースを落とすと痛みが消えるという状態が続きました。

週末練習は、次のマラソン大会に向けて行っていますが、実際この練習がどの程度タイムに影響するのかよくわかっていません。しかし、自分の体の変化をみると、週末の疲労と痛みは月曜日には消えていることに気付きました。

体が強くなった!

2日間で40㎞走っても脚の痛みが残らず、疲れも残っていない。ランニングを続けることで体が強くなっています。6年前は一度痛みが出ると長引きましたが、最近は翌日には日常生活には問題ない程度には軽減されます。体が強くなることも走ることの一つの長所。ランニングはマラソンだけじゃない。

私が初めて買ったマラソン用のランニングシューズは、ニューバランスのビギナー向けM771というものでした。
ネット検索したところ、こちらのAll Aboutの「初心者向けランニングシューズ」 紹介ページに出ていました。今はもうほとんど売っていない昔のモデルです。

2009年の秋ごろに購入し、2年くらいランニング用に履いた後、普段履きにして、最後はあまりに踵がなくなったために処分しましたが、捨てるのに忍びない気持ちがしたものです。

東京マラソン2,010出場が決まった時に、友人の経験者ランナーと一緒に御徒町で購入しました。シューズは消耗品ですので、今も1年に1足くらいは買いますが、慣れてしまった今となっては、この時のように強く記憶に残ることはありません。あの日は、M771を買った後に回転寿司を食べたことを覚えています。ランニングとはまったく関係ない記憶ですが(笑)

初心者向けシューズとしては、クッション性と安定性が重要ではないかと思います。走ったことがない人が長距離を走ると、脚に負担がかかるため靴底のクッションで衝撃を吸収します。また、脚を鍛えていないと足首がグラグラしたりしますので、ガッチリしたシューズで安定させるのが良いようです。

逆に問題点はというと、「重い」ということがあります。長距離を走れば、それだけ重さが体に響いてきます。マラソンのタイムにも差が出るというデータがあるそうです。

「走る」という面での初心者向けシューズのポイントはこんなところですが、初心者向けのガッチリシューズには重要なポイントがもうひとつあります。それは、先ほど少し触れましたが、普段履きができるというメリットです。

ある程度脚力が付くと、シューズが軽く薄くなってきますが、そのシューズは普段履きには向かないものがほとんどです。履くだけで一苦労ですし、薄すぎて怖い気もします。日常生活ではいろんなものを踏みますので注意が必要ですが、初心者向けのシューズはこういう心配がなく普通のスニーカーとして使用できます。

ただし、デザインがライフスタイルに合っているかはわかりませんので、シューズの普段履きについては、各自がうまい履き方を発見しなければならないでしょう。

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