今日は1月2日、箱根駅伝の往路がテレビ中継があります。
有名どころの大学や選手の争いや、アフリカ人留学生のゴボウ抜きなど楽しみ方もいろいろ。

私は、箱根駅伝の「ドラマ」が大きな楽しみのひとつです。
例えば、スローダウンしてヘロヘロになってしまうランナーが、毎年必ず何人かいます。原因は、もともと体調が悪かったのか、脱水なのか、ケガなのか、わかりません。注目度が高い大会なので、夢の舞台に立ったことで生まれるプレッシャーが大きく影響するのでしょう。こういうランナーの頑張りをつい応援してしまいます。
また、ダークホースが予想外の快走をみせて区間賞ということもありますし、注目選手が今一つの成績に終わることも。そういうドラマを求めて箱根駅伝を観ます。

こうしてあれこれ考えてみて、あることに気付きました。それは、「箱根駅伝は、高校野球に似ている」ということです。

甲子園の高校球児も、箱根の大学生ランナー達もどちらも社会人でもプロでもありません。結果は重要ですが、各選手にとって死活問題というわけでもありません。注目度が高い大会だけに、もしそこで活躍すれば、日本全国で有名になります。だからと言って、それで賞金がもらえるわけでもない。
甲子園と箱根駅伝でメリットがあるのは、参加して名前が出る高校・大学と、コンテンツとして視聴率や販売部数が上がるテレビ局や新聞雑誌の各社というところでしょう。

また、二つの大会には長い歴史があり、数々の有名選手を輩出しています。
彼らがプロやオリンピックで活躍してスターとなり、甲子園や箱根路の思い出を語ることで、この物語性が強化されていきます。大会経験者が活躍することで、大会の価値が上がり、活躍する人が増えれば、物語を語る「語り部」も増えて物語の「神話性」も増していきます(スターたちは神様みたいなものです)。語り部が増えれば、その話を聞く機会も聞く人も増えるため、さらに物語の神話化・ドラマ化が進んで行くことになります。

これとは逆に箱根駅伝や甲子園で絶頂を迎えてしまい、その後は競技を一切やめてしまった。あるいは、そこで活躍してしまったがために夢を追ったが、実力の見積もりを誤っていてその後全く通用しなかったというドラマも生まれることになります。甲子園や箱根路に巣くう魔物。「人生を狂わせた魔物」という物語も裏舞台で作られ、テレビや雑誌で目にすることもあります。

ランニングに話を戻すと、競技自体は走るだけですから、私のような文化系でも入りやすい競技です。そして、箱根駅伝はおろか、地方の草大会で入賞することも程遠いような自分が、魔物に囚われてしまうようなことはそもそも有り得ないのですが、物語としての駅伝を楽しんでしまうことで「神話性」の強化に加担している面もあるなあ、と思った次第です。

もっとも、これを純粋に競技として見ると、学生トップに位置する選手たちの走りは、腕の振りや足の運びなど参考になります。学生ゆえに粗削りな感じの選手もいて、そういう選手のぎこちなさが逆に修正点として参考になることもあります。しかし、どのランナーも私からすれば異次元の速さで、タイムを見ると驚嘆せずにはいられません。

現在、往路も第4区に入りました。どんなドラマが起こるのか楽しみです。