文化系ランナーを自称する私は、体育会系ランナーとは違い、走りにも、走る姿にもオーラがありません

だいたいショボくれたおっさんに見えるので、スポーツをやる感じには見えないでしょう。
スポーツマンの人は、いくつになってもスポーツマンの雰囲気でいられるものですが(もちろん中年太りになるひともたくさんいます)、文化系な感じの私はランニングというキツイ運動をするにもかかわらず、普段の姿はスポーツマンのそれとはまったく違う(文系的?)雰囲気をかもし出しているようです。

私はマラソンを初めて7年目になります。
タイムも3時間30分くらいでフルマラソンをコールできるくらいにはなったので、それなりにいろんな知識を蓄えて、フォームの改善などにも取り組んでいます。

しかし、私の「ランニング論」はどうも説得力がないみたいです。

私にはランニング仲間が何人かいて、ランニングについてや、マラソン大会の情報について話すことがよくあります。私は趣味が読書だったりするので、ランニングに関する本もよく読み、それなりに理解してランニングフォームや栄養についての情報を仲間に提供したりするのですが、どうもその情報がみんなの記憶に残ってはいないようなのです。けっこう信頼できる情報ですし、それらの情報から自分なりに成果を挙げているのですが、あまり重要視されないみたいです。

これはつまり、「信用」の問題だと思いました。

ランニング仲間も一人に昔短距離の選手だった男がいます。彼は普段ほとんど走らない「にわかランナー」ですが、高校大学とそれなりに活躍したため体育会系のオーラを出しています。短距離と長距離では、同じ「走る」でも中身が違いますので、過去の短距離競技の輝かしい記録はあまり長距離競技の参考にはならないはず。ところが、みんな彼の発言は非常によく聞くのです・・・。

確かに運動能力も、見た目のオーラも違います。過去の栄光と体育会系の雰囲気が、彼のスポーツ知識に関して「信用」をあたえているのですね。人間は見た目と権威には弱い。そういうことですね。
たとえそれが、ランニングというシンプルなスポーツであっても、やはり人間は見た目と雰囲気が重要。そんなことを再認識したというわけです。

ところで、私とは逆に、ものすごく速そうなオーラを出している人は、レースで遅いと周囲にがっかりした印象を与えてしまうので、注意が必要ですね。