「第3章 2005年9月1日 ハワイ州カウアイ島 
真夏のアテネで最初の42キロを走る」

「走ることについて語るときに僕の語ること」の第3章は、村上氏がギリシャのアテネからマラトンまでを走ったエピソードを描いています。

ご存知の方も多いと思いますが、マラトンという地は、古代ギリシアの時代、紀元前450年にアテネを中心とするギリシア連合軍とアケメネス朝ペルシアとの間に戦争が起こり、ギリシアが勝利した場所です。
この勝利を伝えるためにある兵士がアテネまで走り、その役割を果たすと息絶えたという伝説が伝えられています。このマラトンとアテネの距離が40km程で、これが現代のマラソン競技の原型になったと言われています。

そんなマラソン発祥の地を走るということは、各地で開催される様々なマラソンに参加したことのあるランナーならさぞ興味を惹かれることでしょう。私もアテネの兵士にでもなった気分で一度は走ってみたいなあ、と思ったことがありました。

しかし、この本の第三章を読んで、もう満足してしまいました。アテネとマラトンの間を走るということが、一流小説家の力強い筆致によりほぼどういうことなのかがわかってしまったからです。

村上氏が走ったのは真夏です。
ギリシアの暑さは相当なもので、私はその暑さを考えただけですでにしり込みしました。村上氏は暑さを考慮して早朝にアテネをスタートし暑さがピークになる前にゴールする作戦を立てたようですが、それでもずいぶん暑そうでした。(ちなみに、アテネからマラトンを目指すのは、マラトンの戦いで伝令が走ったのとは向きが逆になります)

本書には村上氏が走る姿を写した写真が掲載されているのですが、村上氏はなんと上半身裸でランニングパンツとシューズと靴下のみという姿ではないですか!炎天下の中で帽子すらかぶっていないのです。
まったく気持ちの入れようが違います。パンツ一丁で、露出した肌はこんがり小麦色どころか真っ黒です。よく焼けています。紫外線の害が今ほど強く言われていない時代とはいえ、私が走る姿とはまったく違います。 パンツ一丁で真っ黒というのはマッチョです。つまり強い男のイメージを作りあげているのです。

このエネルギッシュな男臭さを私は持ち合わせていません。それに加えて、アテネ・マラソン間の道のりは歴史ロマンとは少し違った姿を見せていることを、村上氏はその描写を通して教えてくれました(詳しくは本をお読みください)。

海外を走るのは冒険です。しかも、初めて訪れる土地で、走る条件が整えられたマラソン大会でも、その土地の人が使うジョギングコースでもなく、地図を見ただけで選んだ道のりをいきなり走るためには、それに相応しい冒険心と勇気が必要です。

私は真夏にアテネからマラソンまで走ることは、おそらく一生ないでしよう。村上氏が書いてくれたランニング経験を存分に味わうことができましたし、その冒険に自分を向かわせるよう精神を変えることはできそうにないからです。

紀元前450年にギリシアで戦争があった。その戦勝報告に伝令係が走った。そして、その二千数百年後に世界的な小説家が同地を走った。その事実だけで十分。たとえ私がそこを走ったとしても、村上氏のようにはうまく伝えることができないのだから・・・