なぜ走る? 文化系レベルランニング

東京マラソン2010にたまたま当選してしまった「読書が趣味」の文化系人間。40代半ばを過ぎた今も、なぜ走り続けているのか? 走ることの意味を問い続ける平凡なランナーが、身体や心理のことからグッズ、レース、書籍のことまで幅広い視点から展開する、一味違うランニングブログです。

「東京マラソン2010」の当日、50代半ばのOさん(男)と30歳のKちゃん(女)と共に、文系オジサン(当時39歳)はスタート会場に入りました。

Oさんは私同様、冷やかしで応募したら当たってしまった人で、マラソンは完全に初心者。Kちゃんはマラソン歴2年の女性ランナーですが練習量は少なく、完走を目指すレベル。つまり私の仲間内で当選したのは、全員初心者。なので、数回一緒に練習したときは、同じレベルだったのでみんなでアドバイスしつつも、何となくライバル視するような気持ちもわずかにあって・・・

 私 「しかし、完走できるか心配ですよ」
Oさん 「何言ってるの。あんたたちは若いんだから大丈夫。私は膝が痛いしね・・・」
 私 「膝なら僕だって痛いですよ」
Kちゃん 「二人とも男なんだから頑張ってよ。わたし、ほとんど練習できなかったから、完走無理かも・・・」

こんな感じのネガティブトークがスタート前に炸裂していました(笑)。
不安がちょっと大きくて、失敗した時の言い訳みたいなものがついつい口にでてしまうんですよね。

やっぱり、マラソン大会は緊張する!

これは今でもそうですが、スタート前はどうしても緊張します。そして、トイレに行きたくなります。

2010年の東京マラソンはみぞれが降る悪天候。雨除けのゴミ袋を身にまとって、3人で震えながらスタート地点に並びました。

「横田基地マラソン2010」を終えると、「東京マラソン2010」へ残すところ5週間となりました。

この時、ハーフマラソン初完走を達成して脚力もついてきたので、勢いがあるうちにフルマラソンに向けて練習を開始。
横田基地のハーフマラソンは途中歩いてしまったため、21㎞を歩かずに完走することを目標として週末練習を行いました。

「ハーフ21㎞走ることができれば、残りを歩いたとしても7時間の制限時間内に完走できる」

細かく計算したわけではありませんが、ハーフマラソンを完走してみてこんな実感を得たので、Googleマップで調べて20㎞のコースを作って、さっそく翌週末からチャレンジしました。

第1週は、ゆっくり慎重に走ったものの、途中から例の持病(腸脛靭帯炎)が起きたため、ひどくならないうちに引き返しました。
第2週は、もうすこし走れましたが、また持病再発のため16㎞くらいしか走れませんでした。2週連続。ほとんど絶望的な気分。
第3週、ついに奇跡がおきました。脚に負担がかからないように、そっと、そぉっと走ると、痛みはあったものの何とか21㎞完走できたのです!

おっかなびっくりでも21㎞走りきる脚力が完成!

大会開催の2週前にハーフマラソンを走りきることができたことはかなりの自信になりました。
と同時に、文系人間の身体にも変化が表れ、少しずつですが、自分がスポーツマンになったような気分(※たぶん運動不足が解消された実感のようなものではないか)を味わえるようになっていました。

「マラソンをやってます」と人に話すと、「私は無理」「何が楽しいんですか」というような反応が返ってくることがよくあります。

ほとんど理解不能なのでしょうね。実際、この文系オジサンも昔は同じような反応をしていたマラソン懐疑派でした。
しかも、昔は傲慢でしたから、「スポーツなどという非生産的な行為はしない」というくらいのことを考えていたように思います。若気の至り、ですね。

マラソンの距離は42.195㎞。確かに人間の脚で走るには尋常ではない距離で、「車や電車があるのに何が楽しくてやるのか」と、考えるのが普通でしょう。

そんな異常で苦しそうなマラソンを続けることに、どんな意味があるのか?

そのひとつは、ストーリーではないかとおもいました。

小説や物語には、といったものには事件があり成功や失敗が語られます。登場人物の喜怒哀楽が表現されて、読者はそれに感情移入して楽しみます。

マラソンもまた同じことです。完走できずに失敗。練習して痛みが出て克服。再挑戦して完走。こういったことを、自分が主人公のランナーとして楽しむことができます。

もっともこれはマラソンについてだけではなく、他のスポーツ、それ以外多くの事についても言えることですね。
仕事、趣味、ボランティア、社会運動など、人がそれぞれの目標をもって参加するときにドラマが起こり、ストーリーを生きることになるのでしょう。

今度、マラソン懐疑派の人々に出会ったら、こんな説明をしてみようと思うのでした。

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