なぜ走る? 文化系レベルランニング

東京マラソン2010にたまたま当選してしまった「読書が趣味」の文化系人間。40代半ばを過ぎた今も、なぜ走り続けているのか? 走ることの意味を問い続ける平凡なランナーが、身体や心理のことからグッズ、レース、書籍のことまで幅広い視点から展開する、一味違うランニングブログです。

半年前から、ランニングに関する本を読んでいます。
半年かかってもまだ読んでいるのは、英語版だからです。電子書籍のKoboアプリ版ですが、電子書籍は場所を取らずけっこう便利です。

●Koboアプリ版 「Born to Run」(英語版)

Born to Run 【電子書籍】[ Christopher McDougall ]




内容は、「"なぜ私の脚は走ると痛むのか?" この疑問を突き詰めた著者のマクドゥーガル氏が、やがて、驚異のランニング力をもつメキシコのタラウマラ族にたどり着く」という話です。全然進まないので、これ以上のことは言えません。また読み進めたら報告します。

日本語版の表紙には「全米20万人の走りを変えた」といううたい文句があるくらいですから、先を読むのが楽しみです。

日本語版(Koboアプリ版)はこちらです。

Born to Run 走るために生まれた【電子書籍】[C・マクドゥーガル]




レビューはアマゾンに沢山ありますのでご参考にどうぞ。
●Amazon 「BORN TO RUN 走るために生まれた」

あまり運動神経のよくない私がマラソンを何年も続けているのは、その理由のひとつにマラソンは成果が表れやすいことがあります。

会社での仕事の場合は、成果をあげようとしても、努力だけではどうにもならないことが多々あります。仕事時間を増やし、完全な準備をしたつもりでも、上司やお客さんの求めるものが変わっていることがあるからです。また、自分が知らない裏の事情なんてものあって、努力自体が初めから無意味の場合もあります。

マラソンの場合は、初心者でも少し走れば、走力がつきます。走力が付いた分は、必ずタイムに反映されます。特に、始めたばかりの頃は、練習はした分だけ必ず成果となって表れますから、大きな達成感が得られます。

他のスポーツ、例えば、球技などに比べてマラソンは技術もルールも技術も簡単、つまり、走るだけです。

このシンプルさは、人間関係や心理が複雑にからみあう「文学」や、難しい理屈を展開する「哲学」に比べるととてもスッキリしています。


普段の生活や読書が複雑なものばかりというわけではありませんが、今の世の中ややこしいことが多い気がして、マラソンのわかりやすさとシンプルさが気に入っているようです。

"膝が痛い! 腸脛靭帯炎を治せ(その1)" の続きです

慢性的な腸脛靭帯炎がガニ股と関係あるのではないかと思ったのは、自分の走る姿を見たことからでした。

普段自分が走っている姿は、なかなか確認できません。
走っている間は、自分では気付かないものですが、客観的に確認できる機会があると、自分の姿に違和感を覚えることがあります。

私の場合、写真に写った自分の姿からフォームがおかしいと気づきました。普段見かけるランナーと同じ感じで走っていると思い込んでいましたが、とんでもありません。人と比べると私の走る姿は滑稽で、運動能力が劣ったどんくさいオジサンの走り&ガニ股フォームなのでした。

さっそくガニ股を直そうと、開いた膝を閉じて走ってみました。
しかし、フォームの改造はそう簡単ではありません。長年身についた走りは一つ直せば、別のところが一つおかしくなるといった具合で、そう簡単に治りません。膝を閉じているつもりでも、鏡に映った自分の姿を確認すると、しっかり開いたままのガニ股でした。

そこで今度は無理に膝をとじるのではなく、膝への負担を軽くするつもりで腰から動かして走るようにしました。走るときに、足を動かすだけでなく、骨盤も動かす。骨盤を動かすことを意識がすると、膝外側の痛みが出にくくなりました。


脚だけを動かすのではなく腰(骨盤)も動かす。体に大きな動きを取り入れることで、脚への負担が少し減るようです。

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