なぜ走る? 文化系レベルランニング

東京マラソン2010にたまたま当選してしまった「読書が趣味」の文化系人間。 それ以来、50歳を過ぎた今も、なぜか走り続けています。 走ることにどんな意味があるのか? 「からだ」「こころ」「グッズ」「レース」「本」などから、走ることについて考える、ランニングブログです。

昨日、元日ランを敢行して頑張りましたが、無理がたたったのか足首の内くるぶしが痛くなったので、本日正月2日は休養することとなりました。

私の仲間には、毎日ランニングをこなす50代男性がいますが、このひとがけっこう故障が多い。それでも休まないのは、「自分は歳だから、休むとすぐに衰えてしまうから」だそうです。確かに、そのようなことは事実としてあると思いますが、休養して体を休ませないとよいパフォーマンスが出せないのではないかというのが私の今の考えで、関節などが痛むとけっこうすぐに休んでしまいます。

休養日に難しいのはカロリーを取り過ぎないようすること。
今日は「箱根駅伝」の往路でしたので、本を読んだりしつつテレビ観戦していましたが、走る日と同じくらい食べてしまいました。今、体重を減らそうと努力していますが、これでは減りません。走らない日に自己管理をするのこともトレーニングと同じくらい重要でしょうね。

なぜ走らないのかを考えて、体の回復ための休養日とするなら、休養日の過ごし方もトレーニングの一つとして節制することも大事だなあ、と食べ過ぎた今となって思うのでした(笑)。


ちなみに、箱根駅伝2016には私の母校も出場していて楽しませてもらっていますが、往路はちょっと残念でした。復路に期待します。

2016年は、元日に初走りとなりました。正月早々、新年初日に走る人はあまりいないと思いますが、私は走りました。

なぜ走ろうと思ったのか。それにはいくつか理由があります。

まず第1の理由は、ダイエット。最近、スタミナをつけたいと思ってよく食べるようにしていたのですが、体重が思ったよりも増えてしまい。速く走りたくても体が重く感じていました。

第2の理由は、自己ベスト更新のため。正月休みはしっかり走りこめるので、たとえ元日でも走りたい気持ちがありました。ここで怠けてしまうと自己ベスト更新はおぼつきません。

第3の理由は、気分転換。最近、あまり正月らしいこともしません。テレビを見て、ネットを見て、読書をしてという感じで眼が疲れてきたので、走りたくなりました。

正月から走る人は、よほどの走ることが好きな変わり者と思うかもしれませんが、意外と現実的な理由で走っていると思います。もし元日に走っている人を見かけても変人と思わずに、暖かく見守ってくださると嬉しいです。

ちなみに、今日のランニングは約10㎞通常ランニングコース。途中、走っている人は一人だけでしたが、初詣に出かける人は多く見かけました。。正月はやっぱり正月ですね。日本の伝統はまだまだ強い!

ついに2015年も大晦日。朝食をとりながら「あっという間の一年だったなあ」と思いましたが、1年間のランニングを振り返る間もなく、今年最後のランニングに向かいました。

今日は、仲間たちと走り納め。朝9時に集合し、男女10人ほどで海岸沿いの遊歩道を往復15㎞走りました。今日のメンバーは、34歳~65歳と年齢層が幅広く、走力も様々。年末恒例行事ということで、のんびりと話しながら和気あいあいと走り出しました。

大晦日の記念ランは、やっぱりみんなで楽しく...のはずが、それは結局往路だけ。折り返し地点で仲良く写真など撮った後は、実力のある百田君(私と同い年)がのんびりペースに耐え切れず飛び出しました。すると若手(この高齢メンバー内で最年少)の本田君が待ってましたとばかりについていきます。これを見た私は迷いました。

行くべきか、行かざるべきか。ここで私も飛び出してしまうことは、「和」の精神に反する...と思う気持ちも
少しはありました。しかし、「せっかく大晦日に走るのだから、鍛えなければ損」ということで、結局、ついていきました。

同年代の実力者と、伸び盛りの若手。ついていくのはなかなかシンドイ。ペースは、5分/㎞からどんどん上がり4分/㎞に。そこから10分位で引き離されて、二人はどんどん小さくなっていきました。

実力不足... もう少し付いていけるつもりでした。それなのに、全然ついていけない。自分の走りに練習不足を大晦日に痛感する羽目になりました。

今年も残すところあと1時間半。来年はもう少し効率よく練習しようとテレビの格闘技を見ながら思いました。

よいお年を。

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