なぜ走る? 文化系レベルランニング

東京マラソン2010にたまたま当選してしまった「読書が趣味」の文化系人間。40代半ばを過ぎた今も、なぜ走り続けているのか? 走ることの意味を問い続ける平凡なランナーが、身体や心理のことからグッズ、レース、書籍のことまで幅広い視点から展開する、一味違うランニングブログです。

前回のつづきです。

天才の言葉は普通のひとにわかるのか?

ここからが問題になります。

「末端と末端がつながる」感覚は、彼のような天才アスリートにしかわからないことなのかどうか、ということです。

アスリートとはいえ同じ人間です。
たとえ凡人でも、天才の感覚を、ほんのわずかでも感じることができるかもしれません

私の場合は、つま先と指先に力をいれて走ってみても効果はありませんでした。
しかし、この「末端と末端がつながっていれば故障はしない」という言葉は私の記憶の隅に残りつづけました。


マラソンではなくヨガのレッスンで

私はヨガのレッスンを受けています。もう3年ぐらいやっていますが、今でもできないポーズがあります。それはランジの姿勢で身体をひねるポーズです。

今年の夏にヨガのレッスンに出ているときのことでした。このランジのボーズをとっているときに急に思いつきました。「足の指に力をいれてみよう」と。

この時は溝口選手の「末端と末端」については忘れていましたが、ふと思いついたのです。
前後に開いた足の指すべてに「グッ」と力を入れる。

すると、どういうわけか両脚の太ももにもうまく力が入り、腰から下が安定したのです。

帰宅途中、溝口選手の言葉を思い出し、考えました。
もしかすると、これが神経回路がつながるということ??

末端と末端ではありませんでしたが、足先と太もも内側がつながったのかもしれません。
嬉しくなり帰宅後、ひとりでもう一度ランジの姿勢で足の指に力を入れてみると、確かに下半身が安定しました。

新感覚はランニングにも応用できるのか?

足先と太もも内側がつながったような感覚。
これが本当に神経回路がつながったのかどうかはわかりません。
しかし、ヨガを3年やってきて一度も感じたことがなかった感覚です。

手足の指に力を込める。走ってみた時には、まったく効果がありませんでしたが、ヨガで太ももと何かがつながったような感じがしました。

そして、先日、もう一度も手足の指に力を込めて走ってみました。
相変わらず末端と末端がつながったかどうかはわかりませんでしたが、違った感覚がありました。

足先と太ももの内側がつながっている感覚があったのです。

足先の母指球辺りから太ももの内転筋くらいまでがつながって、連動している感じがするのです。それまで走っていてなかった感覚でした。


天才をわずかでも感じられたということで納得

溝口選手は、「末端と末端」つまり手先と足先のつながりについて話していました。私の場合は、つながったのは足先と太もも。
「末端と末端」ではなく「末端と中間」ということで、中途半端な感じです。でも、私の中では天才アスリートの言葉が身近に感じられて、少しだけ誇らしい気持ちになりました。

本を読むと、知識が増えますが本で得た知識を実生活で生かすことは難しいものです
しかし、今回は溝口選手の言葉に惹かれて、その意味を考えることで、自分の走りにわずかでも変化をもたらすことができました。

他の競技の一流選手の言葉もマラソンに生きることがある。
自分はそんな体験できたことが嬉しい文化系の人間なのだ、と改めて自覚したのでした。



●『一投に賭ける  溝口和洋、最後の無頼派アスリート』  上原善広著
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先日『一投に賭ける』という本を紹介しました。
<全力でオススメする一冊>スーパーアスリートを感じよう ~ 『一投に賭ける』上原善広著

この本では、溝口和洋という規格外のやり投げ選手の世界を描いていますが、トレーニングや技術、身体についての考えには、常人には理解できないことがたくさんあります。

唯一無二の才能をもったスーパーアスリートの考えることが、「普通のひと」にわからないのは当たり前。彼の言葉のすべてを理解する必要はありません。

しかし、私はこの本の中に、記憶に残り忘れられない言葉があり、ときどき思い出してはその意味を考えます。今回は、その記憶に残る言葉について書いてみたいと思います。


「末端と末端がつながっていないから故障する」

それは溝口選手が選手の故障について語る「末端と末端がつながっていないから故障する」という言葉です。

もう少し詳しく見てみます。

この言葉は「デッドリフト」というウエイトトレーニングについての説明の中の一節で、次のようにつづきます。

手先とつま先がつながっていれば、腰は痛めない。一般的なフォームでも、痛めるときは大抵、この末端と末端がつながっていないときだ。

では、末端と末端つながるとはどういう意味かというと、

手首もグッと曲げて握る。デッドリフトは手首のトレーニングにもなる。さらに足の指はギュッと噛む感じでしめる。これで末端と末端つながる
簡単に言うと、耳や大胸筋を動かせる人がいるが、それは耳や大胸筋に神経回路ができているから可能なのだ。早い話がこれを全身の隅々にまで行きわたらせ、やり投げに応用していけば良い。

手先とつま先には常に力をいれて末端と末端の神経回路をつなげておく、そうすればケガをしないと溝口選手は言っているのです。


溝口選手の言葉が記憶に残った理由

 私はマラソンを始めてからというもの、膝や足首のケガ、腰痛などさまざまなスポーツ障害に悩まされてきました。 マラソンで自己ベストを出そうと一生懸命に練習しても、ケガをして1ヵ月を棒にふり、練習の成果は帳消しになってしまうことも。

ケガや病気で何度も練習を無駄にしたことがある私は、ケガについては人より敏感なのかもしれません。

また、私は本やネットで身体について研究することが好きで、「故障しないための工夫」に興味がありました。
つまり、この言葉から、身体のしくみについての何らかのヒントを得たかったのです。

たとえば、「末端と末端がつながる」ということは、その間にある身体パーツにも影響がありそうです。

もし手先と足先の神経がつながるのなら、その間にある体幹と手足の連動もスムーズになるかもしれません。手足の先に力を込めるだけで身体が連動するなら素晴らしいことです。


言葉どおりにをそのまま試してみると・・・

私は実際、この言葉を応用して手先と足先の神経回路をつなげるべく、手を強く握り、足の指に力を込めて走ってみました。
素直にこの言葉どおりにやってみました。

しかし、とくに変わった効果はありませんでした・・・

手先と足先に力が入っているという感覚はありますが、末端と末端がつながる感覚はなかったのです。走りについての影響は、特に見られません。手を強く握り、足の指に力を込めているだけ・・・

むしろ走りには逆効果
で、末端への意識が強くなりすぎて集中力が続かず疲れてしまうのでした。

その後も何度か試してみましたが、何かを身につけることはできませんでした。
私は文化系人間で、本来は運動神経がよい方ではありませんので、トップアスリートの感覚を体感することは難しいのかもしれません。


意味がわかっても理解できない言葉

このように、世の中には、言葉の意味はわかっても根本的に理解するのが難しいことがよくあります。
この言葉は私にとって「意味がわかっても理解できない言葉」だったのです。

この言葉は、意味が通じても中身がないものなのでしょうか?
溝口選手は日本人でありながら、欧米の巨漢の選手と互角に戦い、自分流で研究しながら持ち前の探求心と根性でハードトレーニングを続けて成果を挙げたひとです。

実際には何かあるのに、平凡な人間にはわからないというだけ
のことではないのか?

もしあまりにうさん臭かったら、心には残らないはずです。
この本を読んでから1年は過ぎていますが、まだひっかかっているということは、この言葉に何らかの真実がかくれていると思っています。

少なくとも溝口選手が何かを誤解して、このような言葉を残したとは思えません。おそらく、究極の身体に備わった感覚が、その真実をつかんだのでしょう。


つづく


●『一投に賭ける  溝口和洋、最後の無頼派アスリート』  上原善広著
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仕事を終えてリラックスする人たち、ビルの明かりやネオンサイン、流れる川のきらめき。
夜の街をノンビリと走りながら、昼間とは違う街の雰囲気を味わう。

ナイトランの醍醐味のひとつは、幻想的な世界が楽しめることです



久しぶりに夜のジョギング

昨夜は久しぶりに、外を走りました。

意外と家のすぐ近くに、明るい看板が目を引き、「こんなところに店があったのか」と気づく。昼間には気づかない目立たない店に明かりがともっています。足を止めて中をのぞくと、高齢女性向けの洋品店のようなよくわからない店でした。

こんな発見があるからナイトランは楽しい。

その後は、今まで走ったことのない道を、看板や歩く人たちを眺めながらゆっくり走りました。
繁華街では、飲み屋に向かうサラリーマンや、水商売に出勤する美しい女性の姿も。

Tシャツと短パンのランナーには場違いな「夜の街」。気配を消しつつコソコソと走るのもまた楽しいもの。
客引きのお兄さんが暇そうですが、声をかけてくることはありませんでした。


夜道はやはり危険

こんな風にのんびり気楽に外を走るのは久しぶりでした。
これまでのナイトランは自己ベスト更新のための練習の一環。暗い足元に気をつけながら、それなりのスピードで走っていました。

一方、昨夜はスロージョギング。走りながら街を「うろつく」のが目的です。
ペースは上げず、面白そうなものはないかとキョロキョロ。
あの看板、この看板と面白そうな店を物色。スロージョグは楽しい。

ところが、突然風景が一変!

足が段差に引っ掛ったのです。
のんびり走っていたのに、油断していて、わずかな段差に対応できず...
見事に転倒しました。

しばらく動けませんでした。
ようやく起き上がり、身体を確認すると、幸い骨や関節に異常は無く歩いて帰れそう。
来た道をそのままUターン。

トボトボと歩いているとアドレナリンが引いて、5分後には痛みが来ました。
見ると、両方のヒジ、手首、腕、ヒザに大小のすり傷があり、なかなか大きなダメージです。

しかし歩くしかない。そのまま家までトボトボ、トボトボと歩き、ようやく家に帰って傷の状態を確認しました。幸い傷はどれも大ごとではなさそう。

医者にみてもらう必要なし。安心してシャワーに入り、傷に水をかけて洗うと「うぉー!」。シミ方が半端ではなかったです。


油断は禁物

体の傷には水がしみ、心には情けなさがしみた夜。
昨夜の教訓は、「ゆっくり走るから安全というわけではない」ということ。

速く走っても集中して気をつけていれば、めったのことでは転んだりしません。
逆にたとえゆっくり走ったとしても油断した気持ちで走れば、わずかな段差につまずいて痛い目を見ることになります。

これについては、昼間でも夜でも同じことですが、暗い夜はより危険になります。

みなさん、幻想的なナイトランは楽しいものですが、くれぐれも足元にお気を付けください。

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