なぜ走る? 文化系レベルランニング

東京マラソン2010にたまたま当選してしまった「読書が趣味」の文化系人間。40代半ばを過ぎた今も、なぜ走り続けているのか? 走ることの意味を問い続ける平凡なランナーが、身体や心理のことからグッズ、レース、書籍のことまで幅広い視点から展開する、一味違うランニングブログです。

2020年2月16日(日)に静岡県浜松市で開催された「浜松シティマラソン」。

最近走ることが少なくなってしまった私は、せめて地元のこの大会で日ごろのとても小さな練習の成果を発揮したいと意気込んでいました。
自己ベスト更新は無理としても、「意外と走れるじゃん、オレ」という自信が欲しかったのです(笑)

しかし、当日の天気は予報通りの「雨」

そして、結果は「不参加」、つまり「不戦敗」。
私は負けました。土俵に上がらなければ「負け」ですので。

今回の参加取りやめの理由


今回は、「」が不参加の理由です。
ケガや病気ならまだしも、「雨」は理由としてはかなり「下」のような気がしますね。

雨はランニングに対する情熱を測る温度計のようものです。雨でレースにでない人は、情熱が足りません。私には情熱が足りなかったのです。

しかし、だれもがマラソンバカになれるわけではありません。普通の社会人は、雨で風邪をひくリスクを考えれば、不参加はごく普通の判断でと言い訳めいたことを言っておきます。

失われし情熱はどこへ

ところで、最近ブログを更新していませんでしたが、これも忙しいことで走る距離と時間が減ってしまい、ランニングに対する情熱が失われたきたことを意味しています。

雨の日になぜ走る?
情熱がないので、この問いに対する答えが見つかりません。
特に、大会当日の早朝の大雨を見た後には完全に、走りの情熱は消えていました

情熱の弱まりは2日前にはすでに感じていました。
天気予報がこの雨を予測していたからです。

今どきの2日前の天気予報はほぼ当たりです。
浜松市の中心部の雨確率は80%。どんなランナーでも参加予定の大会で雨が降るとなれば、大会に参加にするかどうか一瞬考えてしまうことでしょう。

室内ランニングで軟弱化

最近の私はあまり走っていません。時間がないので、走る時はトレッドミルがほとんど。走行距離は月100kmくらいで、外は月に2回程。以前は月250kmで外も良く走っていたので、今とは比べものになりません。
外の寒さに弱くなった今の私は、冬の強風を聞くだけで、走る気をなくしてしまいます。

そんな軟弱ランナーの私は、真冬の雨の大会を考えると不安が襲いました。2年前のキレキレの自分ならば「雨もまたオツなもの」くらいの気分でしたが、今は昔の話です。
やはり外をたくさん走ることがレースへのモチベーションを上げるようです。


レース中はそんなに降らなかった

ところで、今年の浜松シティマラソンは、実はそんなに雨が降っていませんでした。
早朝の雨は弱まり、スタート時にはパラパラと降る程度。1時間30分くらいのタイムであれば、そんなに濡れることもなかったのです。
つまり、もしレースに出ていたら、けっこう快適に走れていたはずなのです。
結果論ですが、振り返ってみるととても残念です。
小雨のレースは走りやすいのです。

雨のレースの利点

雨のレースは悪いことばかりではありません。メリットもあるのでいくつか挙げてみます。

1.呼吸が楽

雨の時は乾燥時に比べて呼吸が楽です。理由はよくわかりせんが、走っていてゼエゼエしにくくなります。

2.紫外線が少ない

日光がさえぎられるので、紫外線が少なくまぶしくないのでサングラス不要。また、女性のお肌にも紫外線の害が少なくなります。

3.花粉が少ない。

雨が降れば花粉も少なくなります。花粉症ランナーには良い条件になります。


4.参加費が無駄にならない

参加しない場合には、参加費の返金がありません。今年は新型コロナウイルスによる大会中止が相次いでいますが、その場合でも返金がありません。出られるのであれば、なるべく出たいものです。

5.困難なことを成し遂げた達成感が得られる

雨のレースの参加に迷う私のようなランナーは、雨レースの参加自体が大きなハードルとなっています。この心のブレーキを解き、参加できたとしたら大きな達成感が得られるでしょう。

6.「雨」という自然を体感できる

私たちは普段、雨の日は傘をさしたり、カッパを着たりして外に出ます。びしょ濡れで道を歩くことはほとんどありません。そんな非日常の体験を普通に行うことができるのが雨のマラソン大会のメリットと言えないこともない。



以上、思いつくままに雨のレースのメリットを書きましたが、もちろんこれよりもたくさんのデメリットもあったりします。だから私も今回は棄権してしまったのです・・・

出ないよりは出る方がいい


雨のレースは今後もあるはずです。そんなときに、もしランニングへの情熱が弱まってしまってたとしたら、出ない理由ばかりを探してしまうものです。そんな時に、ここに書いた6つの雨レースのメリットを思い出して、出場への意欲を駆り立てていただければうれしい限りです。

「浜松シティマラソン2020」は、自分の心の弱さが出てしまったレースです。雨にも負けず新型コロナウイルスにも負けずに参加した人たちは、私から見ると偉大な勝者です。もちろん、エントリーした各人がそれぞれの判断に従って出場するかどうかを決めればよいことですので、「雨でも出れば勝ち」というのではありません。
しかし、雨にも負けずに走ったランナーは、雨に負けて走らなかった自分にはとてもまぶしく見えるのでした。

レース後日談

この話には後日談がありまして、レース翌日、同じジムに通う初心者の50代女性ランナーに私の不参加を報告しました。
私が、雨がどうのこうのと、不参加の理由を説明し終えると、彼女は「勝った」とニヤリと笑いました。

私の、完敗です。







夏はやはり涼しくなかった

平成から令和に元号が変わって初めての夏。改元が気候に変化を及ぼすわけなどあるはずもなく、今年も昨年同様に暑い夏でありました。地球温暖化で、まだまだ暑さは続きそうですね。

ところで、夏といえば、海や川でバーベキューなどアウトドアがけっこう楽しいです。プールで泳ぐのもいいですね。涼しい水辺で何かするのが暑い夏の定番です。

ランニングはどうでしょうか?
・・・
ご存じのとおり、はっきり言って夏ランニングはお勧めできません。

走るとやばい夏の暑さとモチベーション

夏の暑さは熱中症などの身体に危険があります。マラソンでは冬でも脱水症状になったりするのに、夏は体温がもっと上がるので危険もさらに高まります。
紫外線も問題です。特に、女性には紫外線は大敵。シミやシワ、肌荒れの原因にもなります。
暑い夏の太陽は、ランナーの敵とも言えるのです。


走れないのは暑さだけではなかった

個人的なことをいえば、夏の暑さだけでなく、「忙しさ」も走れない原因でした。忙しいということは、時間がないということです。ランニングに割く時間がありません。
しかも暑い外を走るのは水分補給など暑さ対策も必要で、冬よりも体調管理に時間がかかります。
忙しく生活が不規則になれば、疲労で体が弱ります。体が弱れば、心も弱くなり、外を走りたくないという気持ちにさせるのです。

走れぬのなら走れるまで待とう

この夏はそんなこんなで、結局外は走りませんでした。
早朝なら涼しい?いやいや、忙しいときに睡眠時間を削ってまで早朝ランニングなど論外です。夏バテ気味で走る気がおこらない上に、睡眠はすでに不足気味。そんな元気はありません。

涼しい秋が来るまで外は走らない。これが令和元年の夏の私の結論。涼しくなるまでは外を走るのは待つという方針をとりました。しかし、そうは言っても、待っている間に何もしなければ、体力は落ちるばかり。どうすればよいのか?
私は考えました。

暑い夏を根性で走ることはできない

暑い夏に走力を落とさないようにするには何が大切なのか?
走り続ければ走力は落ちません。一番わかりやすい方法は根性です。心を鍛えなおして気合いで外を走ればいい。
とは言え、心身ともに弱っている暑い夏です。1日2日ならば、根性で乗り切れますが、2か月3か月と続けるのは無理があります。確かに根性も大切、でも根性には限界がある。世の中に3日坊主という言葉があるのは、最初の気持ちは3日しか続かないということで、そんな人がたくさんいるからです。私もまたその一人。

頭の切り替え。暑くても走る方法はある。

根性がダメなら、頭を使うしかありません。
気持ちで乗り切るのではなく、合理的に考えて「暑さ」を回避する。その方法はふたつ。涼しい地域に移動するか、今ここの温度を下げるか
一つ目を考えてみると、忙しいから涼しい避暑地などヨソに行っている時間はありません。そんなお金ももちろんない。すると2つ目の選択肢しかなく、今住んでいる暑い土地にとどまりつつも涼しく走るしかありません。そして、冷房の効いた室内という結論になります。

涼しい屋内で走るには、自宅にランニングマシンを置くのが手っ取り早い。ですが、家電量販店で売っているものは耐久性に不安があります。業務用は高くてゴツイので無理。そうなると、スポーツジムでランニングマシンで走るのが一番合理的な選択となります。

結局ジムでランニングの練習

ランニングマシンはだいたい35分~40分が目安です。昼間のデスクワークで体が硬いので、5~10分ほど歩いてから走ります。
ポイントはマラソンもスピードが速いことで、時速16km(キロ3分45秒)で走ります。距離は1kmを3回の計3kmのインターバル走です。ハーフマラソンでは、私のペースは4分10~15秒くらいが目安です。なので、けっこうキツイのですが、1km程度なら苦しまずに走れます。それを休憩の歩行を入れて3回行うと3回目には息があがり、汗も流れて体も熱々「一丁上がり」となります。
合計の走行距離は5km~6kmです。

それなりに激しいので、短い時間でも負荷が大きく。運動は毎日これだけでも、いつもの食事をしている限りは、体重も増えることはありません。
問題は、長距離を走るための持久力ですが、こちらの方はレースが近づいてきたら走るつもりです。そのころには涼しくなっていることでしょう。

ランニングマシン練習で参考にしている本

ジムでのランニングマシン練習では、股関節に注意して足がまっすぐに前に出るように心がけています。
ランニングマシンのいいところは、一定のペースで同じ条件で走れることです。自分の走りのチェックをするには、気象や路面の状況が変わる外を走るよりも優れています。

走り方に関しては現在こちらの本↓を参考にしています。



股関節の仕組みについて解説があり、股関節を意識しながらランニングマシンの練習に励んでいます。
漫画家のみやすのんき氏の本ですが、研究熱心で解説がわかりやすい。ご自身の経験も面白く参考になります。サブ3以下のランナーにお勧めです。


前回記事で「ゼエゼエ走ること」について書きました。
それで、ふと考えました。ゼエゼエ走る文学はあるのか?

これまでにこのブログでは村上春樹氏のエッセーを紹介したことがありますが(カテゴリー「村上春樹氏に「走ること」を学ぶ」参照)、小説ではありませんでした。「ゼエゼエ走ること」は物語としてはなかなか成り立ちにくい。
でも、走る文学の名作はあります。そう、走るといえば、日本人ならみんなが知ってる太宰治の『走れメロス』

なぜこの物語が有名かというと、教科書によく載っているからだそうです。私はこの作品読んだような気がしますが、はるかな昔のことで、ほとんど覚えていません・・・
内容について知っているのは、「友人を救うためにメロスは走った」くらいの記憶だけ。
つまり、私はこの国民的名作をよく知らないのです。これはいけないと、この機会に、まず『走れメロス』を読んでみることにしました。

『走れメロス』を読んでみた40代後半ランナー

読んでみた結果は、意外でした。
この話、メロスがピンチの友を救うために走った話と思っていましたが、そうではないのです。

救うのですから、友が何らかのヘマ(借金や犯罪)をして、捕らわれの身になってしまい、その友人を救うのに走ったのだと勝手に思っていました。

違いました。とんでもない誤解です。

死罪を言い渡されたメロスは、自分が必ず戻ることを信用してもらうために、一番大切な親友を人質に差し出したのです。期限までに戻らなければ、友は死刑。戻ったら自分が死刑。そんな絶望的状況です。この作品は「親友を救う話」では、まったくないのです。しかも親友を人質に差し出す時点で、もはや「親友」かどうかも疑わしいです。が、まあ、それは置いておきます。

ところで、私はこの作品の登場人物たちの人間関係やその心理の分析をしたいわけではありません。
知りたいのは、メロスの走りです。昨者とっては「走ること」よりも他のことが大事かもしれません。しかし、私は「ランナーとしてのメロス」にしか興味がありません。必死で走るときの人の有りようを知りたいのです。なので今回は、ランナーとしてのメロスにとって重要だったことだけを見ていこうと思います。

メロスはどんな走りをしたのか?

『走れメロス』の主人公メロスは、シラクスという街から故郷までの10里の道を往復します。自分の身代わりに人質となった親友を、残虐な王様から解放するためです(走りとはこの辺りの状況の説明も省略)。

10里はだいたい40km。フルマラソンの距離くらい。
帰りも40kmで計80km。この往復80kmを3日間で行えばいい。距離だけなら大して難しくありません。フルマラソン完走したことがあるランナーならそれほどではないです。

しかし、この40kmの道のり、どうやらフラットではありません。「ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり」とあります。
」があるのです。
メロスはトレランをしていたのです。

トレランの40kmは、フラットなマラソンに比べて体力的にかなり厳しくなります。時間も倍増する可能性もあります。山の標高や高低差、道の険しさについては書かれていないので、どうなのかわかりませんが、普通のマラソンコースよりはずっと難しいはず。

故郷に向かう「往路」は、深夜にシラクスの町を出て一睡もせず翌日の午前に故郷に到着。徹夜でランニングはなかなかハードですね。

故郷からの帰り「復路」は、二日後(3日目)の早朝に出て陽が沈むまでに戻らなければなりません。しかし、うっかり者のメロスは妹の結婚の祝宴に参加して寝坊までする始末。とはいえ、休養は十分とれたでしょうし、早朝だったのでまだ時間に余裕がありました。途中、間に合うことが確実になると、なんとウォーキングに切り替えるのん気さです。親友への想いを疑りたくなりますが、これも重要ではありません。

ところが、やはり物語です。豪雨で橋が落ちた川の濁流を渡ることになったり、山賊に命を狙われたりと、走り以上に道中の出来事が困難。しかし、私が知りたいのは、こういった偶発的な事件の顛末ではありません。あくまで、マラソン文学としての『走れメロス』ランナーのメロスなのです。

ランナーとしてのメロスはどうなの?

メロスのランナーとしての力を見てみましょう。
そもそも練習もなくいきなり40kmを走るというのはふつうの人には無理があります。マラソンランナーなら、練習もなく40km走ることがいかに困難なのか知っています。しかも山越えのトレラン。途中歩いたとはいえ、40kmを自分の足で移動するのは途方もない脚力持ち主に見えます。

メロスはその困難をやすやすとやってのけます。けっこうな体力自慢の韋駄天というところでしょう。この走りに加えて、濁流を泳ぎ切り、山賊をやっつけます。トライアスロンに近いかもしれませんが、そんなものではありません。どちらも命がけですから、ストレスも大きい。心身ともにツライでしょう。

しかし、そんなスーパーマンのメロスでも、さすがに、トレラン、洪水、山賊退治で疲れ果ててしまいます。そして、ついには血まで吐いてしまいます
呼吸もできず二度三度、口から血が噴き出た

吐血の原因は何なのかはわかりません。が、もし現代のマラソンやトレランのレースだったら、即中止ですね・・・

物語ですから、もちろん血を吐くのもなんでもありですが、走りすぎて血を吐くというのは、もともとどこか悪かったような気がします。脱水や熱中症で気を失ってしまうというのは現代のマラソンでもあると思いますが血を吐くのはひどい。よほどの重症です。
 それでも走ったメロスは、牧人(羊飼い?)なので足が強かったのでしょう。体力はとにかくある。根性もあります。

「走れメロス」のリアリティ

いきなり40kmトレイルを走れてしまう屈強な男メロス。つくり話のスーパーヒーローに見えてしまいますが、そうではありません。人間的な一面ももっています。

一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。

峠を登り切って、ゼエゼエ呼吸をしてしまうメロス。全文を通して「荒い呼吸」の描写はここだけですが、山をのぼり切り息が上がるこの部分はリアリティを感じさせます。ランナー目線では、血を吐くのはリアルに感じませんが、息が上がるのはリアルっぽい。

ところで、なぜメロスはこんなにゼエゼエ走るのでしょうか?それは親友を裏切らないという信念があるから
この信念こそが、メロスの走りの原動力です。箱根駅伝でタスキをつなぐ選手の責任感にも似ています。この作品が教科書に載るのは、この辺りを学んで欲しいからでしょうか?

この物語にリアリティを与えるものがもう一つあります。それは、メロスの心に生まれる「葛藤」です。

濁流の川を渡り、山をのぼり、山賊と戦うと、さすがのメロスも疲れます。ここに午後の暑い陽ざしが メロスにふりそそぎ、意識をもうろうとさせます。
この肉体的な疲労の極限で、勇者メロスが悪い気を起こしかけます。
濁流と山賊を全力で切り抜けた自分を、よくやったと言い、自分を誉めます
ほかの人間ならできないようなことを自分はやった。だから、たとえ完走できなくてもよいだろう、と考えます。全力は尽くしたという言い訳。人間的、あまりに人間的。

この人間的な葛藤が私にはよくわかります!わかりすぎるほどわかるのがツライ(笑)
私はフルマラソンに参加すると途中でこういう葛藤によく出会うのです。「練習は限られた時間の中で精一杯やった。普通のサラリーマンは、マラソンなんかやらない。フルマラソンに参加しているだけでもすごいことだ」こんな言い訳が浮かんでは消え、レース途中で歩くことや棄権することを考えるのです。

もっとも、私はマラソン大会はよほどのことがない限り完走はします。しかし、途中で苦しくなったり足が痛くなったりすると、続けるか、棄権するかで心に葛藤が生じるのです。これもリアルです。マラソンレースの心理のリアル

メロスが走り切ったのは、親友からの信頼

私のような普通の市民ランナーも、マラソンでは苦しい思いをします。それでも完走できるのはメロスほど苦しくないからです。
また、前回書きましたが、「自己ベストを出したいという欲」と、「ライバルに勝ちたいという欲」。この2つの欲によって、ふつうのランナーが、マラソン大会でゼエゼエ走ってしまうのです。そして、私もまた、欲をベースにしてマラソンのゴールを目指すのです

一方、メロスは親友を人質に差し出す「ろくでなし」ですが、すでに書いたとおり、血を吐くまで走って親友との約束を守りました。メロスが葛藤を乗り越えて、予定時刻に間に合ったのは、自分を信じて待つ親友を裏切らないためです。

普通の市民ランナーは欲を力に走るので、意外と簡単に自分の目標となる自己ベスト更新を諦めてしまいがちです。

レースで自己ベストを出したい気持ち。その先には何があるのでしょうか?
自己ベストを出せばマラソン仲間に自慢できます。しかし、その程度の欲だから、血を吐くまで走ろうとは思えません。自己ベストを諦めて簡単に歩いてしまうでしょう。
それとも、自分に勝つことでしょうか?自分に勝つことを自分に約束しても、たいていの人は負けてしまうのではないでしょうか?ダイエット情報の氾濫をみれば、自分自身への約束が当てにならないことはよくわかります。

走れメロスの命がけの走りから学んだこと

マラソンでもなんでもそうですが、今の目標の先にあるものを見据える必要があります。それが他人に自慢したい程度の欲であるのなら、意外と簡単に諦められるし、実際に諦めてしまいます。
自己ベスト更新をより確実なものとするためには、メロスの信念のようなもっと大きな目的が必要かもしれないのです。

大切なひとからの信頼を裏切らないように走る。ふつうの市民ランナーがマラソン大会にこんな気持ちで参加することはほとんどないでしょう。とはいえ、大切な人との信頼や約束にこたえようという気持ちは、人生の大舞台で成功するための動機としてはとても強いものになりますし、苦難を乗り越えるためのエネルギーにもなるはずです。

『走れメロス』は物語です。メロスの走りは、超人的で、やや現実離れしています。しかし、メロスを完走へと導いたものは、その体力ではなく、大切な人への思いと相手からの信頼なのです。
ランニングは体力だけでなくメンタルも大切です。信念があれば、苦しさと葛藤を乗り超えて自分の力以上の力を発揮し、自分のマラソンを走りぬくことができる。こんなテーマを、マラソン文学としての『走れメロス』から今回私は読み取りました。

自己ベストの向こう側を目指して走る。ここにこそが、走り続けることの新しい可能性があるような予感がしています。

以上、40代後半ランナーの読書感想文でした。

↑このページのトップヘ