なぜ走る? 文化系レベルランニング

東京マラソン2010にたまたま当選してしまった「読書が趣味」の文化系人間。40代半ばを過ぎた今も、なぜ走り続けているのか? 走ることの意味を問い続ける平凡なランナーが、身体や心理のことからグッズ、レース、書籍のことまで幅広い視点から展開する、一味違うランニングブログです。

先日『一投に賭ける』という本を紹介しました。
<全力でオススメする一冊>スーパーアスリートを感じよう ~ 『一投に賭ける』上原善広著

この本では、溝口和洋という規格外のやり投げ選手の世界を描いていますが、トレーニングや技術、身体についての考えには、常人には理解できないことがたくさんあります。

唯一無二の才能をもったスーパーアスリートの考えることが、「普通のひと」にわからないのは当たり前。彼の言葉のすべてを理解する必要はありません。

しかし、私はこの本の中に、記憶に残り忘れられない言葉があり、ときどき思い出してはその意味を考えます。今回は、その記憶に残る言葉について書いてみたいと思います。


「末端と末端がつながっていないから故障する」

それは溝口選手が選手の故障について語る「末端と末端がつながっていないから故障する」という言葉です。

もう少し詳しく見てみます。

この言葉は「デッドリフト」というウエイトトレーニングについての説明の中の一節で、次のようにつづきます。

手先とつま先がつながっていれば、腰は痛めない。一般的なフォームでも、痛めるときは大抵、この末端と末端がつながっていないときだ。

では、末端と末端つながるとはどういう意味かというと、

手首もグッと曲げて握る。デッドリフトは手首のトレーニングにもなる。さらに足の指はギュッと噛む感じでしめる。これで末端と末端つながる
簡単に言うと、耳や大胸筋を動かせる人がいるが、それは耳や大胸筋に神経回路ができているから可能なのだ。早い話がこれを全身の隅々にまで行きわたらせ、やり投げに応用していけば良い。

手先とつま先には常に力をいれて末端と末端の神経回路をつなげておく、そうすればケガをしないと溝口選手は言っているのです。


溝口選手の言葉が記憶に残った理由

 私はマラソンを始めてからというもの、膝や足首のケガ、腰痛などさまざまなスポーツ障害に悩まされてきました。 マラソンで自己ベストを出そうと一生懸命に練習しても、ケガをして1ヵ月を棒にふり、練習の成果は帳消しになってしまうことも。

ケガや病気で何度も練習を無駄にしたことがある私は、ケガについては人より敏感なのかもしれません。

また、私は本やネットで身体について研究することが好きで、「故障しないための工夫」に興味がありました。
つまり、この言葉から、身体のしくみについての何らかのヒントを得たかったのです。

たとえば、「末端と末端がつながる」ということは、その間にある身体パーツにも影響がありそうです。

もし手先と足先の神経がつながるのなら、その間にある体幹と手足の連動もスムーズになるかもしれません。手足の先に力を込めるだけで身体が連動するなら素晴らしいことです。


言葉どおりにをそのまま試してみると・・・

私は実際、この言葉を応用して手先と足先の神経回路をつなげるべく、手を強く握り、足の指に力を込めて走ってみました。
素直にこの言葉どおりにやってみました。

しかし、とくに変わった効果はありませんでした・・・

手先と足先に力が入っているという感覚はありますが、末端と末端がつながる感覚はなかったのです。走りについての影響は、特に見られません。手を強く握り、足の指に力を込めているだけ・・・

むしろ走りには逆効果
で、末端への意識が強くなりすぎて集中力が続かず疲れてしまうのでした。

その後も何度か試してみましたが、何かを身につけることはできませんでした。
私は文化系人間で、本来は運動神経がよい方ではありませんので、トップアスリートの感覚を体感することは難しいのかもしれません。


意味がわかっても理解できない言葉

このように、世の中には、言葉の意味はわかっても根本的に理解するのが難しいことがよくあります。
この言葉は私にとって「意味がわかっても理解できない言葉」だったのです。

この言葉は、意味が通じても中身がないものなのでしょうか?
溝口選手は日本人でありながら、欧米の巨漢の選手と互角に戦い、自分流で研究しながら持ち前の探求心と根性でハードトレーニングを続けて成果を挙げたひとです。

実際には何かあるのに、平凡な人間にはわからないというだけ
のことではないのか?

もしあまりにうさん臭かったら、心には残らないはずです。
この本を読んでから1年は過ぎていますが、まだひっかかっているということは、この言葉に何らかの真実がかくれていると思っています。

少なくとも溝口選手が何かを誤解して、このような言葉を残したとは思えません。おそらく、究極の身体に備わった感覚が、その真実をつかんだのでしょう。


つづく


●『一投に賭ける  溝口和洋、最後の無頼派アスリート』  上原善広著
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仕事を終えてリラックスする人たち、ビルの明かりやネオンサイン、流れる川のきらめき。
夜の街をノンビリと走りながら、昼間とは違う街の雰囲気を味わう。

ナイトランの醍醐味のひとつは、幻想的な世界が楽しめることです



久しぶりに夜のジョギング

昨夜は久しぶりに、外を走りました。

意外と家のすぐ近くに、明るい看板が目を引き、「こんなところに店があったのか」と気づく。昼間には気づかない目立たない店に明かりがともっています。足を止めて中をのぞくと、高齢女性向けの洋品店のようなよくわからない店でした。

こんな発見があるからナイトランは楽しい。

その後は、今まで走ったことのない道を、看板や歩く人たちを眺めながらゆっくり走りました。
繁華街では、飲み屋に向かうサラリーマンや、水商売に出勤する美しい女性の姿も。

Tシャツと短パンのランナーには場違いな「夜の街」。気配を消しつつコソコソと走るのもまた楽しいもの。
客引きのお兄さんが暇そうですが、声をかけてくることはありませんでした。


夜道はやはり危険

こんな風にのんびり気楽に外を走るのは久しぶりでした。
これまでのナイトランは自己ベスト更新のための練習の一環。暗い足元に気をつけながら、それなりのスピードで走っていました。

一方、昨夜はスロージョギング。走りながら街を「うろつく」のが目的です。
ペースは上げず、面白そうなものはないかとキョロキョロ。
あの看板、この看板と面白そうな店を物色。スロージョグは楽しい。

ところが、突然風景が一変!

足が段差に引っ掛ったのです。
のんびり走っていたのに、油断していて、わずかな段差に対応できず...
見事に転倒しました。

しばらく動けませんでした。
ようやく起き上がり、身体を確認すると、幸い骨や関節に異常は無く歩いて帰れそう。
来た道をそのままUターン。

トボトボと歩いているとアドレナリンが引いて、5分後には痛みが来ました。
見ると、両方のヒジ、手首、腕、ヒザに大小のすり傷があり、なかなか大きなダメージです。

しかし歩くしかない。そのまま家までトボトボ、トボトボと歩き、ようやく家に帰って傷の状態を確認しました。幸い傷はどれも大ごとではなさそう。

医者にみてもらう必要なし。安心してシャワーに入り、傷に水をかけて洗うと「うぉー!」。シミ方が半端ではなかったです。


油断は禁物

体の傷には水がしみ、心には情けなさがしみた夜。
昨夜の教訓は、「ゆっくり走るから安全というわけではない」ということ。

速く走っても集中して気をつけていれば、めったのことでは転んだりしません。
逆にたとえゆっくり走ったとしても油断した気持ちで走れば、わずかな段差につまずいて痛い目を見ることになります。

これについては、昼間でも夜でも同じことですが、暗い夜はより危険になります。

みなさん、幻想的なナイトランは楽しいものですが、くれぐれも足元にお気を付けください。

前回の記事でお伝えしましたが、「はままつアスリートフェスティバル」で小学生の走りを見てきました。

小学生の走り

小学生は低学年から高学年と年齢が開いているので、体格にも成長にも差があります。また、男女でも体つきに違いがあるでしょう。

皆さんの走りを見学させてもらい気づいたのは、「小学生はだいたい身長が高いほど速い」ということでした。
(もちろん「走るイベント」に来る小学生ですから、肥満の子はいないという前提があります)

身長差以外で、速い子の特徴を見つけようとちびっ子たちの走りを観察してみましたが、すでに書いた通り、フォームが良ければ速いというわけではないというのが私の実感でした。

素人目に見て、身体ぶれていないかどうかが判断基準でしたが、少なくとも小学生に関してはそういうものが大きな問題ではないとわかりました。

駅伝の大学生の走り

フォームといえば、アスリートフェスティバルの翌日に行われた「第50回全日本大学駅伝」を見た時にも同じ印象を持ちました。

それは第7区を走った青山学院大学のエース森田選手の姿でした。
森田選手の足先は、足首から外側にかなり開いています。他の選手と比べるとよくわかります。

私は足が痛くなるタイプなので、これで最後まで足が持つのだろうかと心配になります。

ところが、さすがはエース区間を任される選手。前を走る東海大の選手を抜き去って、1位でタスキを渡しました。タイムは区間2位、日本人選手では区間1位です(第7区区間成績)。

短距離の小学生と、長距離の大学生を単純に比べてしまうのは問題があるかもしれません。それでも、「フォームが良ければ速い」とは必ずしも言えないという思いを強くしました。

フォームが良けれは速いというわけではない。

大舞台で活躍を目指すような「速いランナーたち」は、毎日練習し、いろんな工夫を重ねて、自分に一番合った走りを選んだ結果、個性的なフォームになっているはずです。

きれいなフォームもまたそのランナーの個性で、きれいに走るのがその人の個性に合っているでしょう。

ランニングを始めたばかりの素人に関して

ところで、私のように30歳代の後半からマラソンを始めたようなランナー、つまり素人には、走り方の修正は大きな効果があります。骨盤の前傾、足の開き、猫背など、意識して改善に取り組めば、走るときの痛みが和らいだり楽になったりします。

私はランニングを始めて数年は腸脛靭帯炎に悩まされましたが、ガニ股を直してからは治りました。

素人レベルのランナーは、そういう改善を重ねることで、走るときの見た目のフォームも美しくなっていくはずです。

たとえば、痛みが原因で腰を曲げて歩いている人がいるとする。治療の結果、腰を曲げずに歩けるようになったとしたら、その人の歩く姿勢(フォーム)は良くなったと感じることでしょう。それと同じことです。

走るときの欠点を直していくことで、走りやすくなり、フォームも良くなるということです。

「骨盤の前傾」、「肩甲骨を寄せる」、「アゴを引く」といった基本的動作は、万人に当てはまるような「理想的なフォーム」を目指すための大きな修正ポイントです。短所をなくすことで走りが快適になる素人レベルの時には大いに参考にしたいところです。

しかし、熟練して欠点を直して一定のレベルに達したランナーなら、自分の身体と対話して個性を伸ばす走りにすることが大切ではないか?

「標準的」から「個性的」な走りへ

小学生たちの走りは様々でした。その違いは持って生まれた体の違いが大きい。
大きい子も小さい子、メガネの子、手足の長い子、頭が大きい子。いろんな子がいます。

低学年の子は見様見真似で走っている子もたくさんいます。
難しいことは考えず、足を前に出して進む。小さい子がしているのはそれだけ。

シンプルだから、自分の体型にあわせた走りに自然になります
当然、走り方も子どもによって違ってきます。

もし走ることに慣れて一定レベルに達したなら、一度子どもの走りを見て基本に戻ることをおすすめします。大人でもそれぞれの体型や体質にあった走りを考える機会となるからです。

もちろん、それぞれの欠点を直すことをやめることはありません。
しかし、あるレベルに達すれば、修正ポイントも重箱の隅をつつくような細かいものになり、たとえ直しても、リターンが小さい。

基本が一通り身について、さらに上を目指すのなら、短所を消していくのではなく、各個人が自分の身体の特徴を知り、長所を見つけて伸ばしていくやり方をおすすめしたい。それぞれの子供にある個性は、大人になってからも消えることはないからです。

短所を消していくうちにみんな同じような「理想的なフォーム」に近づきますが、それは「標準的」でしかないです。標準を超えていくためには、自分の個性を見つけて、そこを伸ばす。

伸ばした結果が標準を外れるならば、そこにこそ他のひととは違う自分自身の価値が発見されるのです。

自分に一番あったフォームを発見し、最高のパフォーマンスを出すことの方が恐らくメリットが大きい。森田選手の開いた足首は、自分の走りを突き詰めた結果であるのでしょう。



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